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[書評]『「男はつらいよ」を旅する』

川本三郎 著

上原昌弘 編集者・ジーグレイプ

「動態記憶装置」としての「寅さん」映画  

 日本映画がギネスブックに掲載されている。まさかと思うだろうが、それが山田洋次監督、渥美清主演『男はつらいよ』なのである。それも、今から34年前の1983年のこと。シリーズが30作を超えた時点で、「ひとりの俳優が演じた最も長い映画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。

『「男はつらいよ」を旅する』(川本三郎 著 新潮選書) 定価:本体1400円+税拡大『「男はつらいよ」を旅する』(川本三郎 著 新潮選書) 定価:本体1400円+税
 第1作が公開されたのは1969年8月27日のことである。

 日本全国を渡り歩く主人公の寅さん、人呼んで「フーテンの寅」は、渥美清が少年時代に見かけたテキ屋(縁日で品物を売る露天商)の思い出をもとに、山田洋次がつくり出したキャラクターだという。

 ギネス認定後もシリーズを重ね、1995年12月に公開された第48作『寅次郎 紅の花』が最後の作品となった。それもまた渥美清の急死を受けてのことなので、存命ならば21世紀までシリーズは継続したかもしれない。

 テキ屋稼業は人が集まるところを求めて全国をくまなく旅してゆく。むろん徒歩ではなく、移動手段として交通機関を使う。水戸黄門が諸国を漫遊する場合は徒歩が基本であるし、アメリカのいわゆるロードムービーの移動はバイクや車が主体である。

 しかし寅さんは鉄道やバスの旅を愛している。単に金がないということもあるが、飛行機などは原則として使わない(もっとも寅さん、ウィーンへ行ったこともあるし、夢の中で宇宙飛行士になったこともある)。ゆっくりとその土地の空気に触れながら、ひとしきり稼いだ後はひなびた旅館で骨休めをし、偶然に出会ったマドンナと恋をする(そして失恋する)。

 この繰り返しのルーティンはじつに心地よく、わたしなどはこの20年間で6回、「寅さんコンプリート」(第1作から48作まで、順番に鑑賞する)を繰り返している。この「コンプリート」期間中は、「おいちゃん」「おばちゃん」「さくら」「タコ社長」と触れ合う時間のほうが、実の家族のそれよりもリアルに長いのである。

 本書の著者の川本三郎氏とは、わたしが出版社から一昨年(2015年)編プロに移るまで、20年以上にわたり著者と編集担当という関係にあった。その間に同氏から受けた薫陶の中で、『男はつらいよ』をめぐるトリビアほど驚きに満ちたものはなかった。

 それはこういうことである。わたしが「昨日は寅さんの第○作を観ました」と報告すると、川本氏がまず気にするのは「第○作といえば○○線だよね。あのときそこには汽車が通っていたでしょう」という「鉄道情報」なのである。

 わたしはむしろマドンナが清楚な誰それであり、寅さんがどんなズッコケをして、それがいかにおかしかったかなどのメインストーリーを共有したいのであったが、同氏は鉄道ファンとしてのスタンスを崩さないのであった。

 JTBの月刊誌「旅」で川本氏が連載していた『日本すみずみ紀行』(六興出版から1987年に単行本として刊行)はわたしも読んでおり、だから第7作『奮闘編』(東北なまりの少女の榊原るみがマドンナ)で採り上げていた青森県鯵ヶ沢を通る五能線、第13作『寅次郎 恋やつれ』(高田敏江&吉永小百合がマドンナ)の島根県温泉津(ゆのつ)、第19作『寅次郎と殿様』(真野響子がマドンナ)の愛媛県(四国が舞台なのは珍しい)の大洲などは予習済みであったが、それ以外の地域となるととんと不案内なのである。

 だから川本氏の追及にはしどろもどろに応対せざるを得ず、同氏はどうもそれが不満のようであった。わたしが寅さん映画の真の魅力を理解していない、というのである。

 というわけで、そんな鉄道通にして旅の達人である川本氏が現実に「寅さん」と同じルートを旅してみたのが本書なのだが、この本を読むことはわたしにとって、寅さん映画の「失われたピース」を発見するような体験となったのである。さて、読み終えた今、目次を振り返ってみることで感動を再現してみたい。

1 沖縄のことを何も知らなかった……浅丘ルリ子演じるリリーと沖縄は切っても切れない関係にあるが、川本氏は沖縄戦の悲惨さを思うと心が痛み、訪れることができなかったという。しかし寅さんに導かれ、ついに沖縄の地に立つ。鉄道のない島とされていた沖縄に、3本の軽便鉄道が走っていたという驚きからスタートする。

2 すべては柴又に始まる……柴又は東京ではなく、あくまでも「近所田舎」だった。京成電車に関する蘊蓄を堪能。

3 京成金町線を行き来して……銀座でも上野でもなく、金町という意外な「都会」の魅力が綴られる。

4 寅が福を運んだ網走/5 奥尻島「渥美清がうちに来るなんて」……蒸気機関車が最後まで走っていた土地、北海道の素晴らしさと現在の寂しい町並み。

6 寅と吉永小百合が歩いた石川、福井……尾小屋鉄道のバケット・カーや「動態保存」されたローカル線。

7 会津若松から佐渡へ/8 木曽路の宿場町……蒸気機関車だけではなく、地方から上京する集団就職の若者の姿も、「寅さん」には「動態保存」されている。

9 瞼の母と出会った京都……京都で連れ込みホテルを経営する寅さんの実母を演じたミヤコ蝶々はそもそも関東人。寅さんの母の設定とまったく同じという事実に驚く。

10 岡山の城下町へ/11 播州の小京都と大阪へ……さくらの夫である博を演じる前田吟の故郷、その父の志村喬の思い出も残るのが岡山の地。因美線の小さな駅から、博の実家のあたりを経巡る。

12 寅が祈った五島列島……リリーの住む沖縄や、テレビ版「寅さん」が命を落とした奄美大島など、寅さんは日本の隅っこである島々をよく訪ねている。川本氏もまた五島列島を訪れ、その風光明媚に驚嘆している。

13 伊根の恋……いしだあゆみがマドンナの『あじさいの恋』ほど、性的なアプローチが寅さんの身に迫ったことはなかった。まさに「よっぽど度胸のないかた」三四郎イコール寅さんなのである。

14 「さくら」も旅する……さくら演じる倍賞千恵子は5度、旅に出たという。正直な話、わたしは「寅さん映画」のどのマドンナよりもさくらのほうが魅力的で、草森紳一氏の「さくら=真のマドンナ説」には深く共感せざるを得ないのであった。

15 「渡世人」の迷い……大原麗子がマドンナの『寅次郎 真実一路』の舞台は牛久沼。しかし茨城県の牛久は通勤圏である。寅さんにとって「通勤」というのは「旅」なのだろうか?

16 九州の温泉めぐり/17 加計呂麻島で暮す寅とリリー……川本氏の旅は九州から再び沖縄へ。この最終章では、全作に出演した脇役専門女優の谷よしの(ヒッチコックのように、彼女が映画のどこに出ているのかを見つけるのがファンの楽しみなのである)について語られ、高知県を舞台にした幻の第49作『寅次郎 花へんろ』の情報も教えてくれる。マドンナは田中裕子。彼女と寅さんのお遍路の旅、本当に観てみたかった。

 さて、こうして全編を振り返ってみて気づくことがある。

 最近では「聖地巡礼」と称して、アニメの舞台をファン同士、恋人同士で訪れることが流行していると聞く。その伝ではないが、本書もただの「ロケ地めぐり」ではなく、「聖地をめぐる旅」といえる。

 なぜ寅さん映画に描かれた地方が「聖なる地」なのか。そこにはかつての日本の記憶が染み付いているからである。つまり、この旅は川本氏にとっては「鎮魂の旅」なのである。本書冒頭の「沖縄への旅」はまさしくそうであったが、そんな幅の狭い話ではない。

 では彼が何の魂を鎮めるのかといえば、1969年から95年まで、26年間にわたって生きていたすべての日本人と、日本の大地と、日本の鉄道の魂なのである。見方によっては「センチメンタルな旅」と捉えられてしまうかもしれないが、実はもっと深く大きなものである。

 今回、ロケ地という名の「聖地」を訪れるたびに川本氏が驚いたことのひとつは、ロケされた駅や通りや旅館や食堂で、「ここは寅さんのロケ地でした」という表示が、かなりの確率で存在していたこと。四半世紀も前に終了したシリーズがいまだ愛されている。それは今なお寅さんが、人々の心にも「動態保存」されているあかしであり、映画という外付けの「動態記憶装置」の有効性の証左でもある。さあ、今夜も寅さん映画を見てから寝よう。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

上原昌弘

上原昌弘(うえはら・まさひろ) 編集者・ジーグレイプ

1961年生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒。大学時代、産経新聞と北海道新聞と新書館(後に入社)の3社かけもちで働く。卒論はヒッチコック。月刊コミック誌、バレエ雑誌、思想誌『大航海』などを編集。また書籍では、川本三郎『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞受賞)、『小津安二郎全集』、『車谷長吉全集』(いずれも新書館)などを編集。