御厨貴 阿川尚之 苅部直 牧原出 編
2017年08月14日
上下2段組、360ページを超える書物。酷暑の折の読書としては息も絶え絶えになりそうな経験だが、ほとんど休むことなく読み終えた。
『舞台をまわす、舞台がまわる――山崎正和オーラルヒストリー』(御厨貴 阿川尚之 苅部直 牧原出 編 中央公論新社)
それにしても「山崎正和」という姓名は穏やかで、屈折の少ないもの。温厚にして、にこやかな温顔を彷彿とさせる。
だが、こういう見かけに騙されてはならない。いや、「とんがった」人物だと言っているわけではない。温厚篤実そうな見かけとは裏腹に、実に鋭い指摘をしばしばすることに目を瞠ることが多かったと言いたいのだ。
1934年、京都生まれ。すぐに満洲に移住し、一時帰国することはあったものの、満洲で戦後を迎え、1948年に帰国して京都に住む。第1章の「満洲時代の記憶」には、少なくとも筆者には初めて聞く話が多く、その意味では興味深いと同時に、山崎正和という人物のその後の生き方、あるいは生きる姿勢を知る上で大事な部分と思われた。理不尽な暴力、飢餓とおぞましい占領体験、死と隣り合わせで生きる日々、そんな悲惨な幼少期を彼は淡々と語り続ける。
それは冷静であると同時に、どこか突き放したような生き方を守る姿勢であって、その底には、何とも具体的な形容ができない「不機嫌な」気持ちがいつも渦巻いていたらしい。
しかしその不機嫌は具体的なもの、人間への不満となって爆発することはほとんどなかった。そうなっていれば、少なくとも一時的には気分も晴れたかもしれない。しかしそうなれば、後になって襲ってくる不快感は耐えられなかっただろう。
だとすれば、ある時期まではこの正体のわからぬ不機嫌と同居していかなければならない。それが徐々に消えていくためには、時代と折り合いをつけていくしかなく、たとえ一時的であれ、自分の気に入ったものにのめり込んでいくことが必要だった。
劇作家としてデビューし、それと同時期に評論活動をおこない始め、共産党に代表される左翼主義的な言説が跳梁跋扈する中で、山崎正和は政治世界とのかかわりを強めていくが、その際には政権中枢と太いパイプを有しながらも、できる限り自己の内面をさらけ出すことを避け、あるいは実に戦略的に生き抜いてきた。
その姿は、これまでしばしば対談をおこなってきた故丸谷才一が評したように、「法科の切れ味を持ちながら、文学もよくわかるたぐいまれな逸材」だったが、その逸材は一朝一夕で出来上がったものではあるまい。
評者はこの40年余り、山崎正和の著作を読み続けてきたし、読むたびに大いに刺激を受けてきた。彼が大きな役割を演じたサントリー文化財団の活動も、常に興味深く見つめてきた。その意味で、この本は実に楽しく、多くのことを学ばせていただいた。
しかしそう思って振り返ると、山崎正和の劇作品には一度も触れたことがなく、劇場に足を運んだこともなかったのに気が付いた。これはいったいなぜだったのだろうか。それはこの人物の存在があまりにも大きく、彼が主役となって語る物語が何よりも「劇的精神」に富んでいたからかもしれない。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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