矢部宏治 著
2017年08月28日
読む前と後で、世界の見え方が変わってしまう本がある。6年前の2011年6月に刊行された『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』以来、矢部宏治氏が執筆・編集してきた8冊の本がそうだ。
■『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること――沖縄・米軍基地観光ガイド』(矢部宏治著 書籍情報社、2011年6月)
■『戦後史の正体』(孫崎享著、創元社、2012年7月)
■『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(前泊博盛編著、矢部宏治共著、創元社、2013年2月)
■『検証・法治国家崩壊――砂川裁判と日米密約交渉』(吉田敏浩・新原昭治・末浪靖司共著、創元社 2014年7月)
■『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治著、集英社インターナショナル、2014年10月)
■『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(矢部宏治著、小学館、2015年7月)
■『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(矢部宏治著、集英社インターナショナル、2016年5月)
■『「日米合同委員会」の研究――謎の権力構造の正体に迫る』(吉田敏浩著、創元社、2016年12月)
本書は、その8冊のエッセンスをまとめたもの。本書で初めて矢部氏の著作に触れる人は幸いなり。お得なことこのうえない。あまり真面目な読者ではないながら、これまで氏の執筆・編集活動をフォローしてきた私にとっても、学び、思うところの多い一冊だった。
『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』(矢部宏治 著 講談社現代新書)
太平洋戦争終結時から現在に至るまで、日本では米軍による占領体制が継続している、「対米従属」とは単なる精神的なものではなく法的にがっちり規定されたものである、という、矢部氏の一貫した主張が本書でも展開される。
この主張は表明した当初、陰謀論と批判されることが多かったという。正直私もはじめは、氏の緻密な論証に圧倒されつつも、「いくらなんでもそこまでは言えないんじゃない?」と思わなくもなかった。
しかし、沖縄では衆参選挙区の全議員が反対派になっても辺野古新基地建設が粛々と進められ、憲法学者の9割が違憲とみる安保法制も成立した。矢部氏の論できれいに説明がつくことばかりが続いて、この6年の間に日本はずいぶん遠いところまで来てしまった。今となっては、本書の内容を陰謀論だと言って済ませられる人のほうが、「頭の中がお花畑」でうらやましいとすら思う。
思うところその2。
矢部氏は今度の本で〈旧安保条約1条を根拠として、米軍が日本の国土のなかで、日本の憲法も国内法も無視して、「自由にどこにでも基地を置き」「自由に軍事活動をおこなう」ことを可能にする法的なしくみが、つくられることになりました〉と書いている。
その〈法的なしくみ〉が、旧安保条約+行政協定+日米合同委員会の三重構造。現在、前二者は改定されて新安保条約+地位協定になっているけれど、日米合同委員会が大量につくった密約によって、その内容は、旧条約・協定時代とまったく変わらないものになっている。
アメリカの公文書を読み解き、条文とつきあわせ、密約の中身を明らかにする。そうやって、米軍による日本支配が維持されるしくみを謎解きしていくのが、矢部氏の著作の真骨頂。そのおもしろさは、今度の本でも変わらなかった。
だが今回、読み終えて、〈日本の憲法も国内法も無視して〉という言葉に、はたと思ったのだ。
「共謀罪」は、「中間報告」などという初めて聞く言葉が飛び出して、強行採決された。森友学園問題では、国有地を安く売却することを認めた側の責任はいまだ問われず、籠池夫妻だけが国有地売却とは関係のない罪状で逮捕され(逃亡も証拠隠滅の恐れもなかったのに!)、弁護士の接見も禁じられた。加計学園問題では、国家戦略特区制度で岩盤規制を突破するのだという掛け声のもと、首相の親友だけに新学部設置が認められた。
この間、私がずっと苛立ってきたのは、「共謀罪」が必要ならつくればいいし、森友・加計問題で首相が関与していないならそれでいいし、でもそれを明らかにするために、ちゃんと答弁しようよ、公文書を出そうよ、参考人を出そうよ、臨時国会を開こうよ、法治国家なんだから、議会制民主主義の国なんだから、ということだった。
でも、この国そのものが、安全保障という国家の存立に関わるところで、法治国家でなく、主権国家ですらないのだったら、「共謀罪」や、森友や加計ごときの問題で、法治国家であることを求めたって、無理に決まってるじゃないか! そう思ったら、森友・加計問題への怒りも一気に冷めた。
『知ってはいけない』という本書のタイトルを見たとき、私は、「ふうん、そんなこと言ったって、私はけっこう知ってるもんね」と思っていた。だが、そうではなかった。今回の本を読んで、私は初めて、矢部氏が言う「日本が法治国家ではない」とは、何も基地や原発のことだけではなく、私自身の、今日の、明日の生活に言えることなのだと、思い至った。
砂上の楼閣。虚妄の法治国家。論理が飛躍しているのかもしれない。でも私の脳内では、ここ最近の国会でのドタバタと本書が、一直線でつながってしまった。
同志を増やそうというわけではないが、日米同盟や安全保障にはあまり関心がないけれど、森友や加計や「共謀罪」の報道に(あっ、南スーダンの日報問題というのもありました)、「どうして日本ではこんなことが罷りとおるんだ」と苛立っている人には、ぜひ本書を読んでみてほしい。自分の苛立ちが、実は戦後史の深い暗い穴に通じるものであると感じ、驚きはしないだろうか?
と言いつつ、本書を読み終えた今、私はすっかり戦意喪失している。「こんな国なんだから、政治家然り、官僚然り、国民然り、あちこちでモラルハザードが起きるのも、当然だよね、仕方ないよね」と。
矢部氏は本書で、戦後史の〈大きな謎を解く旅〉は終わり、これからは、〈解決策を探す旅〉に出ると言う。他人任せではいけないとわかっているけれど、矢部氏には早く新たな旅に出ていただいて、私の戦意を昂揚させてくれることを期待しています。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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