「表現の自由絶対主義」の陥穽
2017年08月17日
以下、まずネット上でのこれらの動きに関連して問題の詞が性犯罪を助長するか否か、表現の自由は絶対かどうかを論じた上で、今回の問題の本質は女性に対する「ヘイトスピーチ」であることを続稿で論ずる。
まず問題の詞が同種の犯罪を助長するかどうか。学問的には、助長しないとは断言できない。あるいは、何の影響もないとは断言できない。
一般にポルノ――今回の歌詞は、後述のようにポルノと同様の意味を持ちうるものと解する――への接触がもたらす影響については、1970年代以降、フェミニストの問題提起を受けて、主にアメリカで、長らく研究がつづけられた(杉田『男権主義的セクシュアリティ――ポルノ・買売春擁護論批判』青木書店、50~59頁)。
数十年間の研究を踏まえて結論的に言えば、性暴力をふくむ暴力映像の場合、長期的影響については一貫した証拠はないとしても、短期的にはその接触者の攻撃性を促進する、と総括されている(大渕憲一『攻撃と暴力――なぜ人は傷つけるのか』丸善ライブラリー、137頁)。問題の詞は性暴力的な内容に関わる。それゆえ、心理学的な研究の成果を無視することはできない。
ポルノの与える影響は多様である。性暴力的な内容のポルノへの暴露は、接触者の「レイプ空想」を引き起こすことが知られている。もちろん空想と実際の行動とは異なる。だが、近年の「快楽殺人」に関する知見からすれば、レイプ空想は、思いのほか性暴力の大きな要因になっていると考えることができる(R.レスラー他『快楽殺人の心理――FBI心理分析官のノートより』講談社、63頁以下)。
後述するように、秋元氏は詞のなかで被害女性に「私は悲鳴なんか上げない」と言わせている。つまり被害者は
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