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(続)K・ギルバート「嫌中・嫌韓本」の悲劇

これが21世紀の『菊と刀』? 「日本人論」?

大槻慎二 編集者、田畑書店社主

 前稿「<K・ギルバート「嫌中・嫌韓本」の悲劇――安倍首相と自民党こそ、儒教の具現者?>」の末尾に、「編集者ならばまず最初にチェックするべき」と記して、この本の最大のブーメラン、すなわち版元である講談社に向かうブーメランについて触れたい衝動が抑え難くなってきた。

『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社+α新書)ケント・ギルバート著『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社+α新書、帯は「30万部突破」時のものです)
 この原稿を書くために手に入れた本は奥付を見ると19刷。巻き替えられた帯には「40万部突破!!」とある。よく売れて結構なことである。

 ところでその帯であるが、著者の上半身の写真に被せて次のようなコピーがあしらわれている。

 〈21世紀の『菊と刀』…全く新しい「日本人論」です!〉

 これを見て頭を抱えてしまった。このコピーを書いた担当編集者は、あるいはこれを通したデスクは、果たしてルース・ベネディクトの『菊と刀』を読んだことがあるのだろうか?

 それ以前に、そもそも本書を「日本人論」と言っていいのだろうか?

 というのも、この本でまともに日本人について語っていると思えるのは、第四章「日本は儒教国家ではない!」というたった14ページの章だけであるが、その内容たるやちまたの「日本人すごいコール」で腐るほど耳にした浅薄な武士道讃美と、聖徳太子の十七条憲法の「和を以て貴しと為す」という使い古されたフレーズの焼き直しに過ぎない。

 日本人論といいながらまっとうに日本人について語らない。中国と韓国を叩くことによってウヨクに取り入ろうとする姿は、『ドラえもん』になぞらえて言えば、のび太をいじめて溜飲を下げるスネ夫が、決してジャイアンに付き従う理由を語らないのに似ている。

「和を尊ぶ」「応分の場を占める」とは?

 ちなみにその「和」についてであるが、十七条の憲法のなかでも、それは常に「君言臣承」、すなわち上の言うことに逆らうなということと抱き合わせにあるのを忘れてはならない。

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