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[20]再び「子殺し」「親殺し」考『晩春』13

末延芳晴 評論家

境内で財布を拾う杉村春子のコミカルな演技

 映画『晩春』は、紀子(原節子)が、佐竹熊太郎という男との見合いに、不承不承応じさせられ、2階の彼女の部屋の籐椅子に腰をおろし、前屈みになって両手のひらで顔を覆って号泣するシーンまでと、そのあとの鶴岡八幡宮の境内を、原節子に見合いに応じることを承諾させた父親の笠智衆と、見合いの話を仕組んだ叔母の杉村春子が、足並みをそろえ、連れだって歩くシーンからで、前半と後半に分けられる。すなわち、前半の主題が、父親と叔母による「娘殺し」であったのに対して、後半は、娘による「父殺し」へと反転してドラマが進むことになる。

 ドラマの進展を、スクリーンに則してみていくと、晩春のお昼前だろうか、柔らかく、澄明な陽の光のした、鶴岡八幡宮の境内、大石段の下、鳩が餌を漁る広場を並んで歩く笠智衆と杉村春子が、舞殿の手まえの小さな拝壇のまえで立ち止まり、手を合わせ「紀子の見合いがうまくいくように」と祈ったのち、杉村が、「紀ちゃん、なんて云ってるの?」と、心配そうに笠に問いかけ、それに対して笠が「別になんとも云わないんだよ」と答えたのを受けて、以下のような会話が交わされる。

 「なんとも云わないって、もうお見合いがすんで1週間にもなるのに……お返事しないわけにもいかないわよ」
 「うむ……そうなんだがね、あんまりしつこく聞いて、こじられても困るしね」
 「先方じゃ大へん気に入って乗り気なのよ、あの人なら紀ちゃんもいうことないと思うんだけど……紀ちゃん、またなんだって今日東京に行ったの? のん気すぎるわよ、兄さんも……」

 と、原の意向を聞くこともせず、したいようにさせている兄の不作為をたしなめ、「今日はどうしても返事を聞いてかなきゃ……。紀ちゃん何時ごろ帰るって?」と、自分が、何が何でも原の意志を確かめてから帰る意志を笠に伝えたうえで、二人は再び舞殿の横を大石段の方に歩き出す。

 と、そこで、杉村は財布が落ちているのを見つけ、慌てて駆け寄り拾い上げて、なかを開けてみて「兄さん、蟇口(がまぐち)ひろっちゃった……こりゃ運がいいわよ、きっとこの話うまくいくわよ」と嬉しそうに、蟇口を着物のふところに入れてしまう。ところが、笠のうしろから巡回中の警察官が警棒を手にして歩いてくるのを見て、杉村は慌てて駆け出し、途中で笠に手招きして、大石段を駈け上って行く。

=写真は、『晩春』のDVDより筆者作成(【写真3】~【写真9】も同様)拡大【写真1】 拝壇のまえで手を合わせ、見合いの話がうまくいくようにと手を合わせて祈る笠智衆と杉村春子=写真は、『晩春』のDVDより筆者作成(【写真2】~【写真5】も同様)
【写真2】拡大【写真2】 「もうお見合いがすんで1週間にもなるのに……お返事しないわけにもいかないわよ」と、笠にこぼす杉村春子
【写真3】拡大【写真3】 拾った財布をふところに入れ、「こりゃ運がいいわよ、きっとこの話うまくいくわよ」と嬉しそうな杉村春子
【写真4】拡大【写真4】 警察官が近づいてくるのに気づき、慌ててせかせかした足取りで逃げていく杉村春子

 ここでの、上半身をのけぞるようにやや後ろに引いた姿勢で、笑顔を満面に浮かべ、蟇口をしまった懐の上から左手をしっかり押さえつけるようにして「こりゃ運がいいわよ、きっとこの話うまくいくわよ」と、嬉しそうに笠智衆に告げる杉村の仕草や、警察官が歩いてくるのを見つけて、上半身をやや前のめりに固定させた姿勢で、あわててセカセカと足元をバタバタさせ、下駄を鳴らしながら、小走りで去る杉村春子の「絶妙」としか言いようのない演技の軽妙な可笑しさは、喜劇女優としての杉村の本領を遺憾なく発揮したものといえよう。小津映画初出演とはいえ、彼女の演技が、すでに映画の前半部分を撮り終え、小津の厳しい演技指導にも慣れ、こつを呑み込んだせいだろう、水を得た魚のように存分にこなれて、自在の域に達していることが見て取れる。

 小津は、このシーンでの杉村の、まさに当意即妙の演技がよほど気に入ったのであろう、『晩春』の次の作品『麦秋』でも、杉村に、原節子の家の近くに住み、親しく付き合いのある「小母さん」を演じさせ、原が、秋田の県立病院の病院長として転勤することが急に決まった杉村の一人息子の「謙吉(二本柳寛)」と結婚することを、思いがけずその場の咄嗟の決断で引き受けてくれたことで、大喜びしたものの、話があまりにうまく行き過ぎると信じられないまま、翌朝、原が働く東京の銀座か丸の内のオフィスまでわざわざ確かめに出てくるシーンで、オフィス街の道路を車をよけながら渡ったり、トイレに急に行きたくなり、オフィスの廊下をあたふたするシーンで、同じように、せかせかと下駄を鳴らして駈けさせている。

表と裏を使い分ける原節子の両面性 ・・・ログインして読む
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筆者

末延芳晴

末延芳晴(すえのぶ・よしはる) 評論家

1942年生まれ。東京大学文学部中国文学科卒業、同大学院修士課程中退。1973年から1998年までニューヨークに在住。2012年、『正岡子規、従軍す』で第24回和辻哲郎文化賞受賞。『原節子、号泣す』(集英社新書)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)、『夏目金之助ロンドンに狂せり』(青土社)など著書多数。ブログ:「子規 折々の草花写真帖」