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[書評]『親鸞と日本主義』

中島岳志 著

奥 武則 ジャーナリズム史研究者

「弥陀の本願」と「天皇の大御心」の間 

 アカデミシャンの書いた本は、往々にして難解である。こっちがバカなのは差し引くとしても、「オイオイ、何を言いたいの?」と腹が立つことが少なくない。

 中島岳志さんの本には、そういうことがない。自ら設定した問いに向けて明晰な議論を展開する。読者はしっかり著者に寄り添うことができる。本書の問いは次のようなものだ。

『親鸞と日本主義』(中島岳志 著 新潮選書) 定価:本体1400円+税『親鸞と日本主義』(中島岳志 著 新潮選書) 定価:本体1400円+税
 冒頭、著者は《私は、親鸞の思想を人生の指針に据えている。いかなる教団にも属していないが、自分は浄土真宗の門徒だと思っている》と言明する。

 親鸞に初めて触れたのは、吉本隆明の講演がきっかけだった。すぐに吉本の『最後の親鸞』を読み、《新たな世界が切り開かれた思いがした》という。

 当時、「理性の限界」という問題に直面し、保守思想に接近していた著者は、親鸞を読み、保守思想の懐疑主義人間観が親鸞の「悪人正機」の主張と交差すると考えたのである。そして、この両者を考究し、統合することこそが《自分の生涯をかけた思想課題》と思うようになった。

 エドモンド・バークは、キリスト教の「原罪」をその保守思想の核にした。自分は親鸞の「悪人正機」を根源に据えて保守思想を体系化しようと考えたという。

 ところが、ここに一つの難問が立ちはだかる。

 日本において保守思想を体系化しようと考えたとき、立ち向かうべき対象として戦前・戦中の日本主義があった。万世一系の天皇を中心にした日本の国体を世界に冠たるものとして信奉する国粋的イデオロギーである。

 戦前・戦中に日本主義を鼓吹した人々として日蓮主義者の系譜があることはよく知られている。田中智学、北一輝、石原莞爾、井上日召らの名前がすぐ浮かぶ。

 そのことは、著者は当然熟知していた。そして、親鸞思想は、《日本ファシズムの外部に位置する安全地帯》と思っていた。ところが、「安全地帯」どころか、戦前・戦中、日本主義の旗の下、自由主義的な知識人を激しく糾弾したことで知られる原理日本社の思想的な指導者だった三井甲之は、まさに親鸞主義者だったのである。

 三井だけではない。ほかにも親鸞思想を日本主義に結びつけた人々がいた。

 親鸞思想と日本主義はどう関係するのか。親鸞思想そのもののなかに日本主義と結びつく構造的要因があるのだろうか。《親鸞の思想を人生の指針に据えている》と語る著者には避けて通ることができない問いが、ここに浮上した。

 本書はこうして書かれたのである。

 原理日本社については、三井甲之と蓑田胸喜。ほかに、倉田百三、亀井勝一郎、吉川英治について、それぞれの思想と行動の足跡が丹念に辿られている。さらに真宗大谷派の戦時教学が暁烏敏を中心に分析される。

 日本主義に行き着く回路はさまざまである。三井甲之は歌人としての芸術的探求の末、倉田百三はキリスト教との格闘を経て、亀井勝一郎はマルクス主義からの転向の後、それぞれ親鸞に出会う。

 著者は、それぞれの著作を丁寧に参照しつつ、決して性急に結論を急がず、彼らの模索の道筋に光を当てる。断罪する視点は、そこにはない。内在的に理解することによって、親鸞思想とのつながりが見えてくるということだろう。

 「終章」は、「国体と他力――なぜ親鸞思想は日本主義と結びついたのか」と題されている。最初に設定した問いに、著者はどう答えるのか。

 まず、前章までを総括して、著者は次のように述べる。

 《彼らは親鸞の思想を捨てて、日本主義へと「転向」したのではない。親鸞の教えを追求するが故に、日本主義へと接続していったのである》

 では、なぜ親鸞思想と日本主義の国体論は結びついたのか。著者は《どうも両者には、結びつきやすい思想構造が存在するようだ》と考える。

 ここで、著者は国体論の特質を考察する。焦点は、国体論の源流としての国学的ナショナリズムである。

 国学の論理を構築した本居宣長は、「漢意(からごころ)」を除去し、日本古来の「やまとこころ」に回帰すべきことを主張した。外来思想を否定した宣長は儒教とともに仏教に対しても否定的だった。だが、少年期から浄土宗に親しんでもいた。

 浄土宗の祖である法然とその弟子親鸞の教えの根幹は、「自力」を捨て、「他力」にすがることである。宣長における「漢意」は「自力」であり、「他力」は神の意志に随順する「やまとこころ」に相当する。国体論は国学を通じて法然・親鸞の思想構造を継承しているのである。

 亀井勝一郎は、親鸞が説く「弥陀の本願」を「天皇の大御心」に結びつけた。超越的な存在としての天皇のもと国民は平準化され、すべては大御心に結びつくことによって国家を超えた共同体が実現する。こうした国体的ユートピアが親鸞の論理と結びつくことによって、戦前・戦中に日本主義が生まれた。

 本書の探究を終えた後も、《親鸞の思想を人生の指針に据えている》という著者の思いは変わらないという。しかし、思想構造に起因する以上、根は深い。かたちを変えて再生するだろう国体的ユートピアなるものにからめとられないための「歯止め」は、どうしたら得られるのだろうか。著者の《自分の生涯をかけた思想課題》のさらなる展開を期待する。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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