宮田昇 著
2017年10月02日
『ユリシーズ』『チボー家の人々』『凱旋門』『ペスト』『オリエント急行の殺人』。あるいは『クマのプーさん』『ドリトル先生物語全集』『大草原の小さな家』『シートン動物記』……。
目次に並んでいるタイトルを眺めただけで、ほぼ自分の読書歴を振り返ることができる。
出版界に長く身を置きながら、翻訳出版に関しては未だ素人である自らの引け目を意識しながら本書を手に取ったのだが、気がつけば出版の裏側にある人間のドラマに絡め取られていて、なるほど、これはまさに「事件簿」だと納得した。
「あとがき」から察するに、本書の成り立ち自体が、みすず書房の小尾俊人氏、長年の仕事上での相棒だった日本ユニ・エージェンシーの武富義夫氏ほか、濃密な人間関係から生まれたもので、これはもうひとつの文化史であると同時に、著者の人生の総決算の書とみることができる。
このところ電子書籍の出現にともない、出版界では全体的に契約書を取り交わすことが当たり前のようになってきたが、以前は国内の著者と仕事をしている限り、この世界は書き手と編集者、もしくは書き手と出版社との暗黙のうちの信頼関係で成り立っている部分が多くて、契約書は最後になりがちで、ひどいときには事後に申し訳程度に交わされるということもあった。それがいわゆるビジネスを超えた面白さを生み出してもいたが、半面その甘さが業界全体のだらしなさに繋がってもいた。
一方、翻訳出版の基本はすべて契約で出来ている。商売相手が欧米社会であることを考えれば当然のことだが、この世界の門外漢にとっては、たとえば本書の中に頻出する「ベルヌ条約」など、どこかで耳にしたことはあるにせよ、それがこれほどまでに重要な決め事だとは思いもしなかった。しかもそれが、もともとは幕末の不平等条約の改正と引き換えに加盟させられたものであることなどまったく知らなくて、その構造は沖縄返還時に交わされた日米地位協定にとてもよく似ている。
それら契約の縛りをかいくぐりながら、日本に西欧の文化を取り入れることに尽力する翻訳書編集者の姿は、どこか明治維新の志士たちを彷彿とさせもし、冒頭にあげた名著の数々に限らず、昭和に育った者にとっては知性の多くが彼らの努力によって形作られたものであることに気づく。
また編集者として本書を読むと、実務上で得るところがたくさんあることはもちろんだが、草創期の翻訳出版の世界では編集者が同時に翻訳者として活躍しているケースが多いことに驚かされる。そこでは訳者と編集者が未分化のまま渾然一体となって文化を育んでいて、そのマグマのような情熱に圧倒される。
「事件」の陰にあるさまざまなドラマにはそのいちいちに発見があるが、たとえば「クマのプーさん」を始めとする児童文学の高峰を築いた舞台裏に岩波書店における石井桃子と吉野源三郎の出会いがあったこととか、振り返ってみると何故に自分の読んだ翻訳小説の多くが「大久保康雄訳」であったか、などが知れて興味が尽きない。
また本筋とはかけ離れるが、個人的に予想外だった収穫は、早川書房時代に著者の上司だったという田村隆一のことだった。
田村さんには晩年の数年間、担当編集者として親しくしていただいたが、毎月の連載原稿をもらいに鎌倉のお宅に伺うと、いつもパジャマを着ていて、一日の大半の時間をベッドの上でウイスキーのグラスを片手に過ごしている姿がまず頭に浮かぶ。
それは、呵々(かか)と笑いながら自ら語る、あるいは田村さんの昔を知る先輩編集者の口から聞く、「昼行灯のダメ社員」の姿と妙に平仄が合っていた。ところが本書の中で次のような記述に出会ってハッとさせられる。
〈田村隆一は一見八方破れに見えるが繊細で、かつ老人キラーと言われたほど江戸川乱歩をはじめ目上から可愛がられた。その性格ゆえか、早川書房とフォルスター事務所との関係を修復し、のちには彼の弟を写真の著作権のセールス担当として入社させたほどであった〉
実は田村さんは、翻訳出版の世界ではすこぶる優秀な編集者であったのだ。
もっとも、引用の箇所の直後に「田村隆一は酒を飲むとがらりと変わるが……」という一節を付け加えねばならなかった事情は察するところではあるが。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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