伊東ひとみ 著
2017年10月05日
書名にひかれて読んでみた。どちらかと言うと雑学的な好奇心からである。
『地名の謎を解く――隠された「日本の古層」』(伊東ひとみ 著 新潮選書)
柳田國男は、地名ほど「人と天然との交渉をこれ以上綿密に、記録しているものはほかにはない」と述べたようだが、地名には有史以前の自然地名が受け継がれたものから、江戸の城下町の地名、平成の大合併によってつい最近生まれた地名まである。
有史以前とは、ヤマト(大和)王権によって『古事記』『日本書紀』が書かれる前の時代、縄文・弥生・古墳時代である。1万年も続いた縄文時代には人々の定住が進んだ。人は定住すると場所(土地)に名前を付けた。名前を付けることは、その土地の所有を意味していたのである。
谷間の低湿地をさす「ヤツ」や「ヤト」は縄文時代に生まれた言葉ではないかという。「谷津」「矢津」「谷戸」「矢戸」「八戸」などと漢字表記されるが、なかでも渓谷を意味する「谷」という漢字がよくつかわれた。
「渋谷」「四谷」「世田谷」「日比谷」「越谷」と、関東では「谷」を「や」と読む。一方、大阪市池田区渋谷(しぶたに)のように、西日本では「谷」を「たに」と読む。「谷=たに」の読みは弥生時代になって稲作農耕民のもとで使われるようになったと言われているらしい。
著者によれば、アニミズム的世界観において大地は人間を生かしてくれる「カミ」であった。このカミは一神教の「GOD(ゴッド)」のような絶対神ではなく、大地に宿る精霊を指す。縄文人にとっては「ヤツ」「ヤト」は、地名であると同時にその土地に住まう精霊でもあったというのだ。
人ばかりではなく国(国家)にとっても地名はその土地の支配を意味した。奈良時代の和銅6年(713)に元明天皇が『風土記』の編集を命じたとき、「好字(二字)令」を出し、文字づかいがまちまちだった地名表記の統一を試みた。
国名では「上毛野(かみつけの)国」が「上野国」、「下毛野国」が「下野国」、「木(きの)国」が「紀伊国」、「粟国」が「阿波国」、以下「泉→和泉」「津→摂津」「近淡海(ちかつおうみ)→近江」「遠淡海→遠江」などと好字(二字)化された。
しかし、「木国」は多雨地帯で木が多く、「粟国」は粟が多く取れたことから来た地名であり、こうした文字の変更はその地名のもともとの意味を失わせることになる。
だいぶ時代が飛ぶが、次の地名大改編は明治新政府による「廃藩置県」と「市制町村制」である。明治4年(1871)、藩は県に置き換えられ、多くは新しい県名になった。そして明治22年(1889)の「市制町村制」の施行で7万1314あった町村が1万6000足らずに減少した。
明治政府は、自給自足できる経済力のある市町村以外には合併を促し、その際、各町村の名称を適宜折衷して名付ける「合成地名」を勧めた。その結果、13の字(あざ)を合わせて「十余三(とよみ)村」、7つの字を合わせて「七会(ななえ)村」、山梨県北巨摩郡の「水上」「青木」「折居」「樋口」の4つの字を合わせて「清哲(せいてつ)村」(なぜこうなるか、考えてみてください)などの判じ物のような地名が生まれた。
近代国家建設にあたって、明治新政府はもう一つ大きな変革を試みた。神仏習合状態と化していた神と仏を分離し、国家神道を創出することであった。
明治元年(1868)の「神仏判然令」(神仏分離令)によって権現、牛頭天王などの仏教に由来する神号の使用は禁止され、「山王権現」は「日吉大社」、「祇園社」は「八坂神社」、「神田明神」は「神田神社」に改称された。
明治国家は町村合併によって国の「かたち」に境界線を引き、神仏分離政策で人々の「こころ」に境界線を引いたのではないかと著者はいう。
「八百万の神」と言われるように、日本の神々は、(1)その土地の守護神である産土神、氏神、家の神、風神、水神、雷神、鎮守神などの民間の神、(2)妙見や権現などの仏教や道教と習合した神、(3)『古事記』や『日本書紀』、『風土記』に記載されている古典の神、と多士済々である。
明治政府は明治4年、神社は宗教施設ではなく「国家の宗祀(そうし)」(国が祀るべき機関)であると宣言し、「社格制度」を導入した。全国の神社を「官社」と「諸社」に分類し、伊勢神宮を頂点とするピラミッド型組織に再編成したのである。これによって(1)の民間の神々は極めて低い位置に追いやられ、(2)の習合神は否定され、(3)の古典の神のみが重視された。
明治に国家が神仏分離令や神社合祀令によって人々の「こころ」に境界線を引いて以来、日本人はカミのありようを見失ってしまった――つまり超越的なものを信じたり祈ったりする「こころ」のありかをうしなったのではないか、と著者は考えているようだ。
この本で探りたかったのは、「国家の都合で命名された官製地名ではなく、国家とは縁のない“小さな土着の神々”とともに生きてきた人々の情感が染み込んだ地名」であるという。
折口信夫は地名を「らいふ・いんできす」(ライフ・インデックス=生命の指標)と呼んだらしい。湿地を表す地名「ヤト」「ヤツ」「ニタ(仁田、似田、二田、荷駄、新田など)」「フケ(福家、不毛のほか浮気とも書き、滋賀県守山市には「浮気町」という名前の町もある)」「スワ(諏訪、諏方、須和、須波など)」、また川にかかわる地名「トロ(登呂、土呂、瀞など)」「フクロ(池袋、沼袋などのフクロ)」など、地形や地質にもとづく自然地名は「カミの宿る大地の名前」でもあった。
こうした地名のなかには、著者のいう「1万年以上に及ぶ自然との共存共生を通して培われてきた縄文的心性」が記録されているのだろうか。
「地名の森」に分け入り、そこに凝縮された「地名のまこと」を読み解こうとした、実に意欲的な本である。ここでは紹介できなかったが、「歌枕地名」から「ブランド地名」「ゆるキャラ地名」まで、個々の地名についての面白いエピソードも多々ある。
難読地名や「清哲村」のような合成地名、朝鮮語やアイヌ語に由来する地名を項目ごとに収めた巻末の付録「まだまだある、気になる地名たち」も充実している。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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