東谷暁 著
2017年10月12日
コンパクトながら充実した内容の「七平入門」が登場した。
『山本七平の思想――日本教と天皇制の70年』(東谷暁 著 講談社現代新書)
一方、複数の評論家や研究者の中には、これらのコトバに籠められた意味を再定義したい矜持が、つねにあるようだ。例えば、ここ数年でも、著名な書き手による、〈空気〉を論じた新書や単行本が、何冊も出ている(昨年は300ページ超の力作評伝も出たが、自分には難解)。
彼らは、山本を批判的にであっても評価したうえで独自の展開を試みているようだ。ところが、山本の発想や論理に無関心、あるいは無視して、〈空気〉や〈日本教〉に触れたがる論者も少なくないように見受けられる。
しかしそれは、与えられた図形の証明を行わねばならない時、或る《補助線》が絶対に必要なのに、なんとかその補助線を引かずに解を求めようとあがいている行為に似ている。
本書の内容は、そうした愚行とは対極にある。各章は、以下のとおり。1「社会現象としての『日本人とユダヤ人』」、2「「三代目キリスト教徒」の異常体験」、3「『私の中の日本軍』と果てしない論争」、4「名著『「空気」の研究』はいかにして生まれたか」、5「山本書店店主と『日本資本主義の精神』」、6「二十年かけた『現人神の創作者たち』」、7「戦後社会と『昭和天皇の研究』」、8「『禁忌の聖書学』と日本人」の全8章。
つまり代表作を、刊行当時の社会背景とその後の影響や、山本の生涯も盛り込みながら読み解いて、ふだん自覚しない〈日本と日本人の間の根源的な問題に引かれた鮮やかな《補助線》〉=〈山本の思想〉の軌跡を分かりやすく伝えようとした労作である。
まず第1章は、『日本人とユダヤ人』ブーム(1970年5月、初版2500部、年末62万部)が奏でる華麗な序曲だ。高名な論者の様々な反応は、さながら渡り台詞のように処女作の興奮を再現する。章が進むにつれ、山本の出自(敬虔なプロテスタント一家、一族に大逆事件の関係者)、惨烈な軍隊経験、独自の出版社経営など、勘所となる経歴が示され、天皇制という繊細な主題を既成のイデオロギーに収斂せずに論じて〈日本教〉はじめ核心となる概念が生まれる過程が、丁寧に語られる。
白眉はやはり〈空気〉を発見する第4章か。ここではまた、山本が小林秀雄を意識していたことも注意深く添えられて感慨深い。21世紀のいま、色悪が切った見得や啖呵のようにも思える小林の魔術的語り口よりも、処女作で異邦人イザヤ・ベンダサンを演じ、その後も異邦人を腹中に棲まわせ続けたかのような山本の、主題労作に至る回路こそ有益と思い知らされる。
実は山本の代表作の中には、それこそ小林ふうの思わせぶりな余談めいた行文もあって、山本初心者なら面食らう場合も少なくない。その点、著者は、豊富な雑誌編集の経験で培った整理能力の賜物なのか、引用も要約も巧く、論旨をたどりやすい。
もちろん山本の仕事は膨大であり、本書が採り上げてない注目作はまだある。だが、『現人神の創作者たち』(ちくま文庫)の解説で子息の良樹氏が記すように、「本当に言いたかったことは、あまり重要とは思えない多くの本の流通の前に、消え去っているように思える」。なるほど、高潔を重んずる家族からは、本書が採り上げた諸作ですら、厳しい評価なのかも知れない。しかし、である。本書が採り上げた代表作のほとんどは「消え去」らず、今なお版を重ねているということも事実なのである。
左右どちらのシンパであれ皮肉な読者は、こう言うだろう。――山本七平は冷戦期のアダ花で、キリスト者的発想は、キリスト教を信じない日本人には無益どころか有害――。そんな声を予想してか、著者は、山本が生涯、日本という国で信仰の意味を精確に伝えることの困難を意識し続けたことを、慎重に説いている。
その上で、性急な読者が聞きたがりそうな、内村鑑三という《代表的キリスト教的日本人》についての評価を、冷静に伝える。すなわち山本は、「宗教者」としては内村に敢えて距離をおき、「出版者」としては内村を同業者として評価した、と報告するのだ。
さらに、遠藤周作という日本のキリスト教文化人の代表作『沈黙』を例に挙げて、こう記す。「七平の視点からすれば、……日本的なキリストを求める日本人の心性そのものが……常に新しい『空気』を生みだし、『水』をも空気に変えてしまい、そして、天皇そのものというより、『現人神』への絶対的忠誠への圧力を醸成するものなのである」(第8章)。ここに、山本が分析した日本の急所が、集約されていると言っていい。だからこそ時代を経ても、この国で「個人と国家」の問題に対峙する時、山本の思想は古びない。
実は今回、別の書籍を紹介したかったが、或る理由でそれが許されなかった。或る理由とは、公序良俗に反するような大それたことではなく、我を通すことも可能だった。それでも当初の書籍を取り下げさせたのは、担当者と当方との間の〈空気〉である。また、本書を紹介するにあたり、昔買った『「空気」の研究』を読み返そうと陋屋(ろうおく)を探したが、まるで空気のように、目につかなかった。そこで、未読の複数の山本作品と一緒に『「空気」の研究』(文春文庫)』を買い直した。当初の意中の書籍ではなく、本書を採り上げることで、山本の代表作その他を再読・初読する機会を得たことに、心から感謝したい。
そして、まるで空気のように、失って初めて切実に感じるモノの見方があることを、2017年10月のいま、痛感している。著者は最後にこう書く。「七平の『空気』についての分析を読んでいると、……未来を運命にゆだねる事態を想定しているところがあって、読んでいて焦燥にかられる」。同感。だが、「ともかく自分を拘束するものを正確に把握することである」。これも、同感。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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