自由って何ですか? 無心のみね子と女子に効く宗男おじさんからもらった宿題
2017年10月06日
小池さんの場合、●●にはまず「排除」が入り、その後「選挙」が入って、その後ひょっとしたら「政権」が入るって噂もある。「政権」が小池さんに転がっても転がらなくても、●●に「改憲」っていうのが入る日が近づいていると思うと、心の底からどんよりする。
という話はこれ以上、深入りしないのだが、●●に入る言葉は永田町にだけあるわけではもちろんない。「メディア」っていうのもあるなーと思うし、「経営」もそうだなーと思う。あと何だろう、「社会」っていうのが一番大きいかな。
社会がそういうふうになってしまったなー、リーマンショックの後あたりから始まって、アベノミクスになって拍車がかかったよなー、いいです、私は勝たなくていいです、でもそういう人間って終わってる感じですよね、今の社会では。などとブツブツ言っても、誰も答えてくれない。
「ひよっこ」は違った。
勝たなくていい。勝ちにいかない人生でいい。そっちが普通。普通は、とても美しい。
そんなふうに毎朝、私に言ってくれた。だから、しょっちゅう泣いた。大好きだった。
最終回を迎えてしまった9月30日、日本橋で柳家喬太郎さんの落語を聞いた。
幼い丁稚さんが半年前の花見の様子を思い出すよう、旦那さんに迫られて、こう言っていた。
「そう言われましてもダーさま、ひよっこのお父さんではないですから、思い出せないのでございますよ」
どっとわいた。大好きで追いかけている喬太郎さんだが、朝ドラを高座で語ったのは私の知る限り「あまちゃん」以来だった。
喬太郎をして語らしめる朝ドラ。「あまちゃん」と「ひよっこ」という傑作。喬太郎さーん、気が合いますねーと心の中で手を振った。
「あまちゃん」が鮮やかな切り口で、キラキラ輝きながら「ファイト!」と言ってくれるドラマだったとすると、「ひよっこ」は狙いを心に秘めながら、優しく静かに「ファイト」と語りかけてくれた。
1964年から4年間のお話。主人公みね子(有村架純)は行方不明になった父の代わりに稼ぐべく集団就職で上京し、最初の勤め先である向島電機が倒産し、縁あって赤坂の洋食店で働き、最後にそこで出会った見習いシェフとの婚姻届にハンを押す。詰めれば、それだけの話だった。
登場人物はみな、勝ちにいかない人だった。でも、努力する人たちだった。その人たち一人ひとりが丁寧に描かれ、そこにある真っ当さ、そこにある熱、そのようなものに触れられた。そのたび、泣いた。
ヒロインのことを「朝ドラだからという理由で、主人公は夢のある人というふうに決めるのも、ずいぶん強引な話だなって思うんです」と語り、舞台にした高度成長期を「ナンバーワンもオンリーワンも特に求められていなかったと思う」と語っていた。そして「そういう(ナンバーワン、オンリーワンの)考え方が今を生きる子どもの枷(かせ)になっているように思う」と続けていた。
夢、ナンバーワン、オンリーワン。こういうものの隣に、勝ち組負け組社会がある。その考えが枷になっているのは、子どもだけではない。そのことを、実は岡田さんもわかっていると思う。
みね子の父の弟、宗男おじさん(峯田和伸)については、この欄で以前にも書いた。
山口百恵さんの息子・三浦祐太朗さんは何を叫ぶ?――母のカバーアルバム『I'm HOME』を聴いて考えた
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