自己表現と女性の理想を体現した存在
2017年10月13日
このニュースで、「ひとつの時代の終わり」というフレーズが使われるのを何度か耳にした。確かに彼女は、「ひとつの時代」をつくったという意味でそう言われるに値する存在である。だがそれが単に、かつてブームを巻き起こしたスターへの常套句程度の気持ちで使われているのならば、それは安室奈美恵という存在の本当の重要さを見逃すことになる、と私は思う。
では、彼女が体現した「ひとつの時代」とはどのようなものだったのか? 以下では、ダンス、ギャル、沖縄という三つの側面からスポットライトを当ててみたい。
ダンスと振り付け。その違いを考えたことのある人はそう多くはないかもしれない。だがこの二つは明らかに違う。ある意味では、正反対のものだ。そのことを私たちにおそらく最初に感じさせてくれた歌手、それが安室奈美恵である。
1970年代に大挙登場したアイドル歌手がそれまでの歌手と違っていたことのひとつは、振り付けがあったことだ。もちろんそれまでの歌手にも振り付けがなかったわけではない。だがテレビ時代の到来とともに、歌と同等、あるいはそれ以上に視覚的アピールのための振り付けが重視されたのがアイドル歌手だった。
ただそれは、「他人にやらされている」という印象を常に抱かせるものだった。桜田淳子が「わたしの青い鳥」(1973)で「クッククック」という歌詞に合わせて右手の人差し指を左右に動かすとき、それを感情が高まって思わず出た動作だとは誰も思わない。むしろ決まった段取りとしてやっているにすぎない、と誰もが思っていただろう。だがそのぎこちなさがある種の魅力と感じ取られた時代でもあった(金子修介『失われた歌謡曲』)。それは、1980年代に入り松田聖子らが登場して本格的なアイドル時代が到来しても変わらなかった。振り付けは、アイドルの魅力の核心である可愛さを示す要素としてあり続けた。
その状況に変化が見え始めるのは、1980年代の中盤からである。
たとえば、荻野目洋子はその変化のきっかけになったひとりだ。彼女の「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」(1985)は洋楽のカバー曲であり、ダンスビートに乗った楽曲と彼女の切れ味鋭いダンスが相まって、それまでにないアイドルソングとして大ヒットした。そこからいわゆる打ち込みを基調にしたユーロビートが流行歌の世界を席巻する時代に入っていく(高護『歌謡曲――時代を彩った歌たち』)。
その荻野目洋子のバックダンサーに、MAXのメンバーとともにスーパーモンキーズの一員として起用されていたのが同じ芸能事務所の後輩である安室奈美恵だった。彼女の最初のヒット曲も、ユーロビートの洋楽をカバーした「TRY ME ~私を信じて~」(1995)である。
とは言え、「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」で初めて16ビートのダンスに挑んだという荻野目洋子には、まだ振り付けの匂いが残っていた。だが、安室奈美恵に至ってそうした部分もなくなり、純然たるダンスになったと言える。振り付けが「他人にやらされている」ものだとすれば、ダンスは「自らの意思でおこなう」もの、言い換えれば主体的な自己表現である。したがってそこから受ける印象は、「カワイイ」ではなく「カッコいい」になる。
安室奈美恵はそういう存在として華々しく登場した。そこにはまだ10代ながら、単なるアイドルというよりはアーティストと呼びたくなるような少女がいた。彼女によって、現在がそうであるようにダンスはアイドル歌手のスタンダードになったのである。
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