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[書評]『組長の妻、はじめます。』

廣末登 著

上原昌弘 編集者・ジーグレイプ

極道の女の告白  

 今回ご紹介するのはヤクザによる懺悔録である。懺悔するのは男性ではなく女性。「亜弓姐さん」という通称で、彼女にロングインタビューした社会学者・廣末登の言に従えば、大規模な車窃盗団のリーダーだった。100人以上の手下を従えていたという。

『組長の妻、はじめます。——女ギャング亜弓姐さんの超ワル人生懺悔録』(廣末登 著 新潮社) 定価:本体1300円+税『組長の妻、はじめます。――女ギャング亜弓姐さんの超ワル人生懺悔録』(廣末登 著 新潮社) 定価:本体1300円+税
 悪行の連続を経て、アウトローの女性のヒエラルキーとしては頂点であろう「組長の妻」の座におさまったわけだ。現在もまだ犯罪者すれすれの立場である以上、懺悔の時期には早いのではないか。

 しかしどうやら、子を持つ母親となった彼女の懺悔の対象は、被害者ではないようである。自分の子どもや早世した彼女の母親(お嬢さま育ちだったという)に、改悛の思いは向けられているようだ。どうにも真剣に悪事を反省しているようには思えないのであった。

 わたしは中学生のころ上野の朝鮮人街に出入りしており、差別される側(わたしの体感だが、東京のヤクザのほぼ半数は在日朝鮮人だと思う。本書の主人公は大阪を拠点とするがやはり在日であった)がアウトロー化して行くサマは、否応なく見聞してきた。命を賭けた男たちがマナジリを決したときの凄みと言ったら! 表向きは文京清掃局の直近で屑鉄業を営む親友の父親が、手下の報告に耳を傾けるときの物静かな表情は、ジョージ・ラフトに瓜二つであった。その格好よさには痺れたし、今も彼はわたしのヒーローでありつづけている。

 しかしそれでも、必要悪としてのヤクザ(暴力団構成員)はどうあっても肯定できない。どんなに懺悔しようが服役しようが、犯した罪は罪であるし、差別される側が結束してさらに弱い者から搾取を繰り返す輪環は、断ち切られなければならない。

 それならばなぜ本書を推奨し紹介しようとするかと言えば、とても面白いからである。著者は闇の世界の住人たちを闇として抹消させることなく、研究対象とすることで明るみに引き出そうとしている。闇なので紙媒体を典拠とすれば、それは新聞記事や警察の調書しかない。公文書は得てして上澄みしか掬うことなく、結果的に誤謬すら生み出す。

 そこで著者が採用した手法が、オーラルヒストリーである。御厨貴氏が、やはり闇へと消えて行くことの多い政治家の行状を取材するときに採用した手法。

 さて、主人公の女ギャング、亜弓姐さんの独白である。彼女の父はヤクザであったが、意識したことはなかった。曲がったことが嫌いな彼女の学校生活は義侠心に溢れており、日々喧嘩の連続であった。この段階では非行の域は出ていなかったという。

 その人生を大きく狂わせたのが、覚醒剤(通称シャブ。前世代はヒロポンと言う。かつては普通に強壮薬として市販していた)との出会いであった。「シャブだけはやめとけ」というのは「良心的」なヤクザの符牒のようなものであるが、現状はシャブこそがメインの収入源である。とくに女性を闇の世界に沈めるとき、アッパー系(高揚してハイになる薬物)のシャブは多用される状況にあり、彼女もまたその罠にはまってしまう。

 以後に繰り返される悪事も、すべてはシャブを求めての行為とされる。カタギの男性と最初の結婚をして足を洗う筈が、やはりシャブから抜けられず、夫を置いて(この夫も彼女の影響でポン中となっていた)警察から逃れるために殺し屋(ヒットマン)と逃避行を続けて離婚。やがてシャブの売人の愛人となり、その売人から「自動車窃盗のABC」を教わって、いつしか高級車窃盗団の女首領に上り詰める。本人曰く「公園で木の実を拾うように」車を窃盗して、「大学」(刑務所のこと)に入学するのであった。

 さすがに「大学」にシャブはない。落ち着くかと思えば、しかしここでも姐さんは止まらない。所内でも義侠心ゆえの喧嘩を続発させ、仮釈放もなくほとんどの期間を独房で過ごす羽目に陥る。とはいえ彼女は独房のほうが気楽と嘯くのだが、その割には巣を作る蜘蛛に愛着を抱く孤独の辛さを語ったりして、「大学」の心理描写にはどうも安定したところがない。

 そもそも刑務所は累犯者で満ちており、彼女も喧嘩の相手には事欠いていない。更生機関として機能していないことは明白であろう。この少し後の話になるが、拘置所で「毒カレー事件」の林真須美死刑囚と隣同士になって世間話をしたり、隣室の正木というギャングと心を通わせているところからして、さして孤独を愛する性格とは思えないのであった。

 さて、姐さんはようやく満期で出所した。それで真人間になるかといえば、そんなことはまったくない。結局はシャブの魔力に抗しきれず、悪の世界に舞い戻ったばかりか、アウトローの正木とつるむようになる。正木と車で逃げる途中で、警官に車中で威嚇射撃され殺されかけたりもする。やがて2度目の「大学」入学、さらに間をおかず3度目の入学。それらもまたシャブが遠因であった。現在は組長の妻におさまり、出産して親となって「シャブ断ち」した現状こそ、彼女にとってはベターな更生の状態なのであった。

 特徴として「一人称の自伝」であり、「エピソードの羅列」であり、「下層出身者で社会寄生的存在の主人公」であり「社会批判的、諷刺的」でもある。あたかもピカレスク小説のような結構を見せているが、わたしが連想したのは、むしろ民俗学者の宮本常一の著作である。社会学者が聞き取り調査したためもあるだろうが、本書の悪行の数々には、時代背景や社会構造が絶妙に反映されている。同時に社会の裏面も、またありありと見せてくれる。警察の調書がいかにいいかげんなものか、「完全黙秘」がこんなにも簡単に達成されてしまうのか、また車の窃盗行為がかくも容易に可能なのか、等々である。

 宮本常一のなかでも名高いのは、高知県で取材し、年老いた博労の性の遍歴を聞き取ったとされる民俗誌の名作「土佐源氏」(岩波文庫『忘れられた日本人』 所収)である。合意によるかレイプによるかを綯(な)い交ぜに、女たちを蹂躙しつづけた過去を懺悔する老人のひとり語りだが、人間とはどこまでも「生き物」にすぎないのだなあ、ふうとため息をつくほど感動してしまう。

 唾棄すべきおぞましさに感銘を受けるという体験は、同時期(評者は当時大学生)に観たヤクザ映画『仁義なき戦い』に共通するもので、性欲と暴力という二重の本能を隠蔽して生きていた、その頃の自分を解放してくれるような心地さえした。

 もっともこの手の「告白」や「懺悔」に隠蔽やウソが混在することは、ジャン=ジャック・ルソーの昔からそのままであって、「土佐源氏」もまさに宮本自身による創作『土佐乞食のいろざんげ』を種本にしているという。男性は回顧録で性豪を誇り、女性は貞淑を装う傾向があるようだが、本書の「亜弓姐さん」もまた性的に奥手である自分を語っている。その時点で眉に唾しなければならないところで、こういった虚実の綯い交ぜが、また本書の魅力のひとつとなっているのである。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。