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[書評]『SHOE DOG』

フィル・ナイト 著 大田黒奉之 訳

井上威朗 編集者

「止まったら死んじゃう人」が本当に全力で走り続けたらすごいことに!  

 一代で世界的ブランドを築き上げた人物の初の自伝、ということで分厚いにもかかわらず発売後いきなりベストセラーとなっている本書。ブームに乗って読んでみたら波乱万丈どころではないエピソードの連続で、すごいスピード感で読了してしまいました。

『SHOE DOG(シュードッグ)——靴にすべてを。』(フィル・ナイト 著 大田黒奉之 訳 東洋経済新報社) 定価:本体1800円+税拡大『SHOE DOG(シュードッグ)――靴にすべてを。』(フィル・ナイト 著 大田黒奉之 訳 東洋経済新報社) 定価:本体1800円+税
 本書の中身に、ブランドを構築し育てるための詳細な戦略とか、そういった話はありません。なにせ、著者のフィル・ナイト氏があまりに行き当たりばったりなのです。読んでいても「なるほど、学びがあるなあ」的な感想より、「すげースリルだなあ」という感嘆がもれるばかりです。

 創業の過程からしてむちゃくちゃです。日本にいい運動靴があるからそれで商売を始めてやろう、と思い立った若きナイト氏。じゃあついでに世界一周しよう、ということで旅に出ます。ここからしてわけがわかりません。でもこの辺は、飛行機での海外渡航がまだ多くなかった時代なので、筋の通った話だったのかもしれません。

 そこで相棒を見つけて旅立ちますが、最初に立ち寄ったハワイの居心地がよすぎて、いつまでも出ようとしません。何かサーフィンばっかしています。相棒にいたっては彼女ができたので、速攻でナイト氏の旅から脱落してしまいます。

 何とか日本に着いて、いきなりオニツカ(いまのアシックスですね)に乗り込むナイト氏。アメリカでそちらの靴を売らせろ、と談判するわけですが、そこに至って自分が会社名も何も考えていないことに気づきます。日本人相手にしゃべりながら、オレゴン州の実家に置いてあったトロフィーのブルーリボンを思い出し、アドリブで「わがブルーリボン社は……」とやりだします。

 え、これで創業ということ? やってることが架空会社で取引する詐欺師と同じじゃないか! とつい突っ込みたくなりますが、どうやらオニツカ側も何年か経ってそのことに気づいたようで、のちの契約打ち切りと泥沼の訴訟劇の伏線になっていきます。

 こうして事業が始まった「後」、ナイト氏は陸上競技の師匠だったビル・バウワーマンを共同経営者に迎えて会社を立ち上げます。仲間を集める基準は、ランナー愛と地元愛。ランナー愛は、要するに徹底的に顧客目線に立っているわけで、わかる気がします。でもナイト氏はちょくちょく地元愛を優先するせいで、どうしても変人ばかりが集合するようです。

 たとえば社員第1号はよく働くけれど異常に自己承認欲求が強く、毎日長文の手紙をよこしてきます。面倒なので返事しないでいると、なぜ返事しないのかという嘆きが盛り込まれ、手紙はより長文になります。どうすんだこれ。(答え:どうもしない)

 そんな感じでとにかくイケイケドンドンで靴を売りまくろうとするので、会社は常に資金難。銀行相手にはいつもハッタリをかまして乗り切ろうとし、借りれるカネはなんでも、それこそ社員の家族の老後の貯金まで借りてしまいます。

 ナイト氏自身も会社を支えるために働きに出ます。まずはPwCの社員になります。え、ちょっと待って、あの世界的企業のPwC? 1960年代とかはまだ大きな存在ではなかったでしょうが、いわゆる大手企業なのは間違いないでしょう。そこで普通に働きながら、自分の会社を回しているのです。むちゃくちゃです。

 次には地元の大学で講師になります。いやいや、そんな簡単に大学の先生になれるもんじゃないでしょう、と突っ込みたくなりますが、ナイト氏は普通に授業をこなし、ついでに美人の教え子を嫁にしてしまいます。

 このあたりで、勘のにぶい私でもようやく気づくわけです。ああ、この人も「止まったら死んじゃうタイプの人」なんだなあ、と。

 要するに超人です。この種の人はとにかくなんでも挑戦し、しかもそれぞれ高いレベルでやりとげ、プライベートも全力で何か始めてしまう。日本でもいますよね、トライアスロンにはまるカリスマ経営者とか。こうした人たちは八面六臂の活躍をするので、どうしてもコンテンツになりやすい。偉人伝やビジネス読み物のたぐいは、この種の人物のオンパレードという側面もあると思います。

 コツコツ仕事をやるしか能がなく、それでもたいした成果はなく、一方でプライベートに何かする元気は残ってないので友人もいなくなり家族もやばくなり……という私のような凡人からすると、この種の超人コンテンツは読んでいて、なんとなくヘキエキしてしまうものです。ああ、また俺とは無縁な超人様の活躍なのね、1日2時間くらいの睡眠で走り続けるなんてかないませんわ、と。

 さらに本書の場合は凡人代表であるオニツカ側の担当者が感じの悪い活躍をしたりして、そっちも目が離せません。この担当者、完全アウェーであるオレゴン州に乗り込んで、取引を切るムードを醸成しながら知らない外人たちとえんえん酒を飲んで、さらに英語で歌を披露したりとか、けっこう頑張っているように思えるのですが、超人代表のナイト氏は容赦なくこの人物を悪く書きます。仕方ないとはいえひどいです。

 でも本書で起こる出来事はスケールが大きすぎて、そしてダイナミックすぎて、こちらにヘキエキさせるスキなど与えてくれません。資金繰りに苦しみながらオニツカと決別し、政府とも戦い、新たなステージへ駆け上がっていく物語は、ナイト氏が天然なのか自虐ネタ(太りすぎたのでランニングを再開した、とか)をちょいちょい披露しつつ高速で展開させるので、読んでいて面白がることしかできないのです。

 読み終えるころには、凡人の嫉妬などはるかに上のレベルで、「止まったら死んじゃうタイプの人」が本気で全力疾走をし続けたらどうなるか、という壮大な試みを追体験できたことに感謝してしまいました。

 「目が離せない」とか「圧巻」とかいうほめ言葉は、ここまで徹底してやりとおす物語にこそふさわしいものでしょう。

 ネタばらしはしませんが、名エピソードがてんこ盛りの本書、凡人でもさめてしまうことなく、熱い気持ちで読破できるすごい本です。秋の夜長に、ぜひ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
 年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

井上威朗

井上威朗(いのうえ・たけお) 編集者

1971年生まれ。漫画雑誌、Web雑誌、選書、ノンフィクション書籍などの編集を経て、現在はまたWeb雑誌にて書評を担当。手がけた企画は竹内一郎『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』、本田透・堀田純司『メカビ』、斎藤貴男『「東京電力」研究 排除の系譜』(第3回いける本大賞)、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』など。