涸沢純平 著
2017年11月06日
限られた時間のなかで、本を手に取る。バスを待つあいだ、ごはんの炊けるまで、子どもが眠りについてから。そのとき、わたしが読書にもとめているのは、楽しみとか息抜きとかではなく、たぶんもっと別のなにかである。
『遅れ時計の詩人――編集工房ノア著者追悼記』(涸沢純平 著 編集工房ノア)
けれどもこの本、『遅れ時計の詩人』についていえば、ふしぎな題名にひかれて買ったにすぎない。じっさい、本書に登場する人物――港野喜代子、黒瀬勝巳、清水正一、足立巻一、桑島玄二、庄野英二、東秀三、天野忠、中石孝、杉山平一、塔和子――は何人かを除いて名前さえ初めて聞く、わたしにとってまったく未知の人たちであった。
ところがどうだろう、冒頭の「落花さかん」「美しく力強い言葉」「人柄の稀有」の3篇を読み終えたわたしは、すでにして涸沢純平の筆につかまえられていた。これらはすべて詩人・港野喜代子について書いており、港野の詩集『凍り絵』(1976年)は、編集工房ノアの初めての作品なのであった。
〈横断歩道を渡りながら港野は振り向いて、私に何かを言った。いつも周囲に遠慮のない大声の港野だったが、その声は騒音に消えて、聞こえなかった。横断歩道を行く小柄な港野の身体に夕陽があたっていた。天気の良い日であった。私は聞こえなかったけれど、手を振ってうなずいて、港野さんの言いたいことは全部わかっているというふうに合図を送った。歩道から呼びかけるのだから大事なこみ入ったことではないだろう。用事であればまた明日電話がかかってくる。電話のひんぱんな港野でもあった。私から掛けてもいい、と思い何気なく手をあげて、別れたのだった。〉
出版して間もない詩集を持ち、宣伝のために新聞社を回ったこの日の深夜、港野は一人住まいの家の風呂で、心臓マヒを起こし亡くなった。交流のあった司馬遼太郎は訃報を聞いて、みずから進んで追悼文を書いた。最初、朝日新聞に電話をして「載せてほしい」と頼んだが、港野は無名だからできないという。この原稿は読売新聞が受けた。葬儀では息せき切って駆けつけた親友の永瀬清子が、早口でほとばしるような弔詞を読んだ。この朗読はその場に居合わせた鶴見俊輔を驚かせた。後日、港野を追悼する雑誌に目をとめた文芸評論家の平野謙は、アカの他人であるこの人物に強い印象を受け、『新潮』の自身の連載で3回にわたって彼女のことを取り上げた。涸沢は『凍り絵』から5年後、A5判・函装・728頁の大冊『港野喜代子選集――詩・童話・エッセイ』を出し、帯には4人の子どもを育てながら書いた港野の「私には切れ切れの時間の、切れ切れの思い、切れ切れの詩しかなく、徒労を恐れては何もできなかった」という文章を引いた。
以上は、港野の死から15年がすぎて書かれた回想なのだが、「中央に聞こえることすくなく大阪の街だけの詩人だったこの人」の魅力と駆け足の人生を記して、涸沢が彼女にどれだけの敬愛をいだいて接していたか、ぬくもりをもって伝えている。
〈さまざまな著者に出会った。たくさんの方々が亡くなられた。まず最初に出会ったのは港野喜代子。私はこの人のことを母とも思った。十三の蒲鉾屋の詩人・清水正一のことは、父以上に父と思った。桑島玄二、東秀三は、年の離れた、兄という思いであった。足立さんは、やさしいおおきな伯父さんであった。天野さんは、肉親にたとえられない偉大な詩人であった。〉
親しく交わった著者との思い出がつづく。日曜の午後、清水正一の家に行くと、ビールが出て、店の商品のちくわ、はんぺん、かまぼこが出て、最後はビフカツといもサラダの付け合わせ、それで足りなければ、ピーナツ、おかきの山盛りが出る。夕食の時間が過ぎると、今度は寿司。清水は行きつ戻りつ、えんえんと話す。「まだ、電車はあるでしょう」。ついつい長居をする。しかも、清水宅の掛け時計は大幅に遅れている。3、4時間遅れているときもある。「泊まっていったら。私ら朝早いけど」。
清水は67歳まで自分の詩集を持たなかった。出版の機がないではなかったが、娘の結婚のさい、詩集をまとめるより、そのぶん箪笥の一棹でも持たせてやりたいと断念したことがあった。ツルゲーネフの「彼らも そう遠くまでは行っていまい」という言葉を、清水は好んだ。
詩を書くことにのみ専念できず、先をゆく詩人たちの背中を見つめなければならなかった清水の無念さを感じながら、涸沢は思う。「この大幅遅れの時計が清水さんの詩であったのかも知れない」、「蒲鉾屋の時計を、詩人の時間にする時計であったのかも知れない」。通夜では長男があいさつで「清潔な一生であったと思います」と述べた。こうしてもう、わたしはこの本の虜となる。
いま、立ち止まることをうながす本は少ない。だが、遅れ時計が必要なのは、詩人だけではない。本書は涸沢純平が還暦のときにまとめたものの、出版の決心がつかず、校正刷りのままほこりをかぶっていたのだという。巻末の「編集工房ノア略年史」が2006年までなのは、そのためだ。この本は、遅れ時計の時間を刻んでいる。余韻を残さない本はさみしい。ためらいのない生きかたは遠慮したい。知らない人とのあいだにさえ、感情は交わるのだ。本書とのめぐりあいに感謝する。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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