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路線バスの利用を呼びかけるのぼりがバス停を中心に立つ東谷地区=北九州市小倉南区呼野 201701拡大路線バスの利用を呼びかけるのぼりが立つ地域も=北九州市小倉南区呼野、2017年1月

買い物難民層は非常に多く苦労も大きい

 今日、買い物に難儀している人たちはどれだけいるのだろう。すでに10年以上が経過してしまったが、私が2005年に行った大規模な調査では、買い物難民層は全国でゆうに1000万人を超えていると判断された。その後の経産省・農水省・内閣府等の調査でも、統計の取り方が私とは異なるが、やはり数百万~1000万人近いという数字が出されている。

 私の調査では、買い物難民層は1000万人を超えるといっても、調査対象者は65歳以上の「高齢者」だけである。だが、法的に高齢者とは呼ばれない人達の中にも、「買い物難民」は決して少なくない。私の調査以降に高齢者の仲間入りをした層は、かつてより自動車免許取得率が比較的高いと判断されるが、他面では――商業統計を見る限り――前記(「[1]コンビニだけでは健康的生活を支えられない」)のように、飲食料品店の減少は続いている。それゆえ買い物難民層はその後も漸増していると私は判断する。

 ところで買い物難民層と呼ぶべき人々は、どのように買い物をしているのであろうか。ふだんクルマを使って買い物をすませている人には、なかなか理解できないかもしれないが、彼らは、日々の食料・日用品を得るために苦労を重ねている。

 買い物難民層となるのは、高齢者――ここでは私の調査に従って対象者を「高齢者」だけにしぼる――の中でも、主に「足」をもたず、また家族・親族等の協力を(満足に)得られない、「一人暮らし世帯」あるいは「夫婦のみ世帯」の高齢者である。

 彼らは、週に何度かかなりの距離を歩いて買い出しに行かざるをえない。行きはまだよいが(といっても周囲に走るクルマのために命がけである)、帰りは、ふつうは一定量の食料を持っている。それをかかえて帰るのはつらい。葉物野菜はまだしも、大根、人参、ジャガイモ類は重い。米や味噌、果物もそうである。牛乳をはじめとする飲み物もそうである。それらがかさばれば、持つのはよけいにつらい。

 リュックに入れて背負えればだいぶ楽になると言えそうだが、高齢者は腕や肩を傷めていて、また体力も衰えているため、たいした量の荷物も背負えないことが多い。大腰筋などが衰えれば、あるいは反射神経がにぶれば、安全のために杖を使わざるをえず、そうなると持てる荷物は半減する。雨が降れば、その苦労はなみたいていではない。

 こうした大儀を避けようとすると、あり合わせですまそうと判断することも多い。私の調査では、4人に1人がそう答えている。だから買い物難民層は、栄養的に偏ってしまうことが多い。タンパク質、炭水化物、脂質といった3大栄養素はもちろんだが、健康に生きるのに必要なミネラル(無機質)、ビタミン類は思いのほか多い。なのに、かつてと違いいまでは、買い物難民層には、往復に小一時間かけてもたいしたものは手に入らないのである。

 なるほどバスで店まで往復できる人もいる。けれども、日々の食料のためにバス代まで払わなければならないとしたら、それ自体すでに異常である。私はかつて、買い物に不自由する高齢者の声を聞く「クルマ社会下での高齢者の生活110番」を開設したことがある。その時、少なくない高齢者が、バス代を払ってまで買い物に行かなければならない理不尽さを、訴えていた。

 中には、涙を浮かべて絶望しきっている人もいた。宮崎市から電話をかけてきた女性は、

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筆者

杉田聡

杉田聡(すぎた・さとし) 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

1953年生まれ。帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)。著書に、『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『逃げられない性犯罪被害者——無謀な最高裁判決』(編著、青弓社)、『レイプの政治学——レイプ神話と「性=人格原則」』(明石書店)、『AV神話——アダルトビデオをまねてはいけない』(大月書店)、『男権主義的セクシュアリティ——ポルノ・買売春擁護論批判』(青木書店)、『天は人の下に人を造る——「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『カント哲学と現代——疎外・啓蒙・正義・環境・ジェンダー』(行路社)、『「3・11」後の技術と人間——技術的理性への問い』(世界思想社)、『「買い物難民」をなくせ!——消える商店街、孤立する高齢者』(中公新書ラクレ)、など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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