大鹿靖明 著
2017年11月30日
これは労作である。著者の大鹿靖明は朝日新聞の記者で、前著『メルトダウン――ドキュメント福島第一原発事故』(講談社文庫)は講談社ノンフィクション賞を受賞した。これがあまりに鮮烈な印象を残したので、今度の本もすぐに読んだ。実に読みごたえがあり、2度目は細かいところまでじっくり読んだ。
そもそも東芝は戦前から続く名門会社であり、戦後間もなくの社長、石坂泰三や、70年前後の土光敏夫は、その後、経団連会長を務めている。
それが傾きだしたのは、1996年に西室泰三が社長になってからであった。西室は「選択と集中」をスローガンに東芝グループ内の事業を再編した。「原発から家電や半導体まで手がける総合電機メーカーは兵站線が伸びきっており、主戦場を限定してそこに経営資源を投入しようとした」のである。
この「選択と集中」は、東芝本社を分割化して、重電、家電、情報通信、電子部品の4つのカンパニーを、持ち株会社にぶら下げようとするものであった。これは結局、後に原発とパソコン、半導体に集約されることになる。そして原発とパソコンについては、言いようもないほどの惨状を見ることになる。なお西室社長の時代は4年間、業績は悪化し続けている。
次の岡村正社長は、西室泰三が会長として権限を振るうための置物にすぎなかった。この間にITバブルが崩壊し、またパソコンの大幅な値崩れが起こっている。ITバブル崩壊については「東芝の半導体部門には設計力も製造力もあるが、半導体部門のトップがタイミングを見た投資決断ができない」ということであった。
パソコンについては取締役の西田厚聰が、決算の赤字をたちまち黒字にしている。大赤字のパソコン事業を劇的な黒字に立て直し、東芝社内では「西田の奇跡」「西田マジック」とよばれ、岡村の次の社長を確実なものにしている。
けれどもこれにはカラクリがあった。「バイセル取引」という「安く調達した部品を各台湾メーカーに売って(セル)、彼らに組み立ててもらって完成品のパソコンになったあかつきには東芝が買い戻す(バイ)」という、これ自体は適法な取引を、極端な数字を当てはめ、四半期の決算ごとに黒字にすり替えたのである。
これは、西田社長がパソコンを海外で売ったがために、それが勲章となり身動きが取れなくなっていき、さらにアメリカからリーマンショックが襲いかかり、粉飾決算は恒常化した。
また西田社長のときに「チャレンジ」と称して、より高い目標を設定させ、それに無理やり到達させることが行われた。このときも、生産額は今期に、経費は次期に繰り越すという経理操作が行われている。
僕が思うに、もちろんこんなことをしてもしょうがない。けれども決算の数字で成績が出るときには、その人のいる場所によっては苦し紛れに近視眼的にやってしまう人もいるのだ。
東芝の原発は、ゼネラル・エレクトリックから沸騰水型原子炉を技術供与されていた。そこに原発メーカーのウェスチングハウスが、加圧水型原子炉を引っ提げて企業ごと売りに出される。東芝がウェスチングハウスも持てば鬼に金棒、世界中で商売ができる、と考えた西田は、適正企業価値の約3倍もの価格で買収している。
ところがその後、次の佐々木則夫社長のときに福島第一原発事故が起こり、世界からの原発工事の要請は止んだ。ウェスチングハウスは実に金食い虫で、あげくの果てには今年(2017年)、経営破綻している。ウェスチングハウスに賭けた資金は、まったくの無駄金だった。
佐々木社長のときには、リーマンショックに伴う世界経済危機が東芝を襲い、バイセル取引による粉飾決算は、どうにもならないところまで行っていた。おまけに佐々木社長は東芝へ入って以来、原発一筋だった。原発は過去のもの、という割り切り方は絶対にできなかった。
こうして東芝は崩壊への道をひた走った。「一国は一人を以て興り、一人を以て滅ぶ。東芝で起きたことは、それだった。どこの会社でも起こりうることである」。この4人の社長は、東芝グループ20万人のトップというには、あまりに足りなかったのだ。元広報室長は「模倣の西室、無能の岡村、野望の西田、無謀の佐々木」と評した。東芝で起こったことは、一言でいうと「経営不祥事」、すなわち「人災」だった。――これが著者の結論だ。
しかし僕の考えは違う。「第一章 余命五年の男」では、西室泰三の若い時から社長になるまでが描かれる。西室は若い時から人望があり仲間が集ってきた。慶應大学で全塾自治会の委員長になり、そこで取り組んだのが学生健康保険の創設である。西室は自身が結核を患ったこともあって、当時の役所の認可を得て、慶應学生健康保険互助組合を創設している。学生とは思えない行動力である。
またあるとき足を引きずるようにしていたので、病院で診てもらうと、進行性筋萎縮症で5年はもたないと言われた。それで東芝でも、忘れられまいと死に物狂いで働いた。さいわい診断は誤っており、手術によって進行を食い止めることができたが、死の淵まで行った男が、しかも若い時から周りに自然に人が寄ってくるような人物が、社長として物足りないと言われても、なかなか首肯はできない。
西田厚聰は東大大学院の政治学博士課程にいて、福田歓一教授の下でフィヒテを研究し、政治学者になるつもりだった。修士課程のときには岩波書店の雑誌「思想」に、フッサールについて論文を執筆している。けれども西田は突然コースを変えて、東大に来ていたイラン人の女学生を追ってイランに渡り、そこで結婚している。このとき結婚相手が勤めていたパース東芝工業に入ったのである。
幼少のころから苦学して東大大学院に入り、一転イランの東芝に所属し、そして社長になるまでは、まさに波乱万丈の物語である。部下の一人は西田を「ドイツ語、英語、フランス語の原書で本を読んでいて、グローバルレベルで見てもすごい教養人。彼に引き寄せられる人はいっぱいいたと思います」と語った。
そういう人が赤字決算を怖がって不正、粉飾に走る。20万人の社員の重圧は、それだけ恐ろしいものなのだろう。けれどもよく考えてみれば、日本人は国の予算を立てるとき、いつもいつも赤字国債という借金は先送りにし、それをみんなで了としているではないか。東芝はその縮図である。
あるいは原発。東芝は、破綻したウェスチングハウスという貧乏くじを引いたけど、しかしまだ原発はやめない。これも日本国の縮図なのではないか。核のゴミが出続け、しかも運転延長でいずれは大事故を起こすと分かっていながら、それでも止めることができない。
東芝の4人の社長は、確かに「人災」だったかもしれない。しかしそれは、対岸の火事では済まされまい。東芝は日本の負の縮図なのだ。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
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