「作家を育てる」という発想をどれくらい持てるか
2017年12月05日
是枝裕和監督に聞く東京国際映画祭への提言――映画という文化に貢献するための「哲学」はあるのか
――コンペティションがなく、Aランクでもないけれど成功しているトロント映画祭の方向性には賛成です。しかし、先ほどおっしゃった「ヨーロッパがアジアの作家を発見する」という一方的な視線、どこか見下され、裁かれるという関係性には、私も疑問を感じています。実際、欧州の映画祭を巡ってみて、アジアの作家がヨーロッパの作家と公平に評価されているとは到底思えません。「東京」には、やはり「東のカンヌ」を目指してほしいという気持ちも捨て切れません。この一方的な関係をひっくり返すのは難しいのでしょうか。
卑近な例で言うと、例えば、この間、(ベネチア映画祭の『三度目の殺人』で)「囲み(取材)」をやりましたが、あの「代表質問」というのは意味がないです。身内の配給会社が最初に「出来レース」的に用意した質問をするのもやめた方がいいし。
――日本のメディアを映画祭などの場で一度に大量に集め、代表して共通の質問を3つぶつける、などというものですね。
是枝 あれは意味がない。海外の記者からは、「あの日本人たちは何をやっているの?」と聞かれます。他の社の記者が聞いた答えを、他の社の記者が、あとからいなくなった後に聞いて答えを合わせたり。それって恥ずかしいことらしいですよ。
海外の記者は「囲みで代表質問」というのは基本的にしないですよね。もしも時間がないなら、囲みで「5~6人で30分」とかやる。向こうの人はそれでも文句を言います。「5分でいいから単独で時間がほしい」と言う人もいます。「囲みなんてジャーナリストへの態度じゃない。この人数で15分なんて、私をジャーナリストと認めていないのか!」と、仕切っていたパブリシストに言ってました。
――ただ日本の場合は、テレビや新聞、ネット用などに、深掘りはしないキャッチーな言葉が、速報用にすぐに欲しいということだと思うのですけれど……。
是枝 そうね、でも多分、そこもやめたほうがいい。そろそろ変えたほうがいい。
――耳が痛いですが、ごもっともな指摘だと思います(笑) 。さて現在、外国の一流映画祭から、「ぜひ上映させてほしい」と言われる日本人監督の数は非常に限られています。世界の映画祭の常連である是枝監督は、そのために作戦や戦略を練ったからここに立てているということでなく、一歩一歩着実に進めていらした結果だとは思います。とはいえ後発の監督さんに、これからはもっとこういう視野を持って映画作りをするべきというアドバイスがあれば、ぜひ教えて頂きたいのですが。
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