『昭和史講義』『漫画 君たちはどう生きるか』『近代文学の認識風景』……
2017年12月12日
*書評「神保町の匠」の評者による、2017年の「わがベスト3」を紹介します(計6回シリーズ)。
小林章夫(帝京大学教授)
●筒井清忠編『昭和史講義3――リーダーを通して見る戦争への道』(ちくま新書)
ここのところきな臭い出来事が相次いでいる。北朝鮮の脅威、トランプ大統領の罵詈雑言、安倍首相の短気など。戦争への道を突き進むのは勘弁して欲しいが、だからこそ政治指導者の性格、願望、下手な手腕がどのような事態を引き起こしたのかを振り返ってみることが肝要だ。その意味で本書はまさにうってつけ。中でも岡田啓介の「『国を思う狸』の功罪」が興味深かった。今もこういう人間がいるが、最近は狸のほかに「女狐」(失礼!)の動きが困りもの。それも数匹いるから気をつけないと。学歴抜群だけど、人間の心を知らないで暴れたりするから、ご用心、ご用心。
●井波律子『中国文学の愉しき世界 奇行・幻想・夢――とびきり愉しい中国文学案内』(岩波現代文庫)
昔は『三国志』や『水滸伝』に心躍らせたものだが、どうも最近はあののっぺりして、しかし髪の毛ふさふさ(何か特別の薬を常用しているのか)の指導者の顔が気に入らず、中国文学とはご無沙汰だった。そこでふと思い直して読んだ本。この著者の本は期待に違わない出来。いやあ、おもしろくてわくわくしました。でも最近の中国文学はどうなのだろう。人間も、時代も、政治体制も変化した上に、途方もない金持ちが増えたし、まだまだ稼ぐのに余念がないのだから、文学に耽溺するゆとりもないか。
●ボンテンペッリ『鏡の前のチェス盤』(橋本勝雄訳、光文社古典新訳文庫)
イタリアの現代小説家にこんなユニークな人がいたのかと、唖然、呆然。ジャンルとしては児童文学、ファンタジーに入ると言うべきなのかわからないが、突拍子のない想像力にあふれた魅力ある物語。まあ、この手の文学はイタリアらしいけれど。こういう作品を読むと、憂き世の憂さを忘れる。今年一番のお勧め。翻訳もお見事。
というわけで、今年の「神保町の匠」で取り上げなかった本を紹介しました。2018年もいい本に恵まれますように。
上原昌弘(編集者・ジーグレイプ)
●高橋順子『夫・車谷長吉』(文藝春秋)
前半のリアルな恋愛譚が最高。発端も経緯も結末も知っている私が興奮したくらい。「人を好きになる」というのは本当に素晴らしい。
[書評]運命のように巡り会った男と女の純愛の書
●吉野源三郎/羽賀翔一『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)
マンガ版の素晴らしさよ! 文章の力の弱きことを実感、哀しいまでに。すべての古典(そう、『君たちはどう生きるか』は十分に古典です)はマンガにして再発売してほしい。
『君たちはどう生きるか』をどう読むか(WEBRONZA)
●川崎昌平『重版未定――弱小出版社で本の編集をしていますの巻』(河出書房新社)
●川崎昌平『重版未定2――売れる本を編集したいと思っていますの巻』(河出書房新社)
人文系零細出版社の編集者による身辺雑記のマンガ版。ここに描かれる会社以上にきびしい状況の「本郷村」某社に勤務した自分にとって、細部の描写はまさに身につまされるの一語。また、数人しかいない小出版社のローカル・ルールの根深さに驚愕。「弊社の常識は御社の非常識」を実感する本。
編プロの取締役に就任させられた今年、20社以上の版元を訪ねて気づいたのは「本好きは出版界に不要」ということ。「本を読まない層」にアピールする本じゃないと部数は万を超えない。本を読んでいては売れる本が逆に見えない(間違っているかもしれないが、売れる企画を連発する編集者ほど読書量が少ないのは、哀しいことに、厳然たる事実)。本を読まないことは自分には不可能。なので、2018年からは取締役を退任して相談役となります。
佐藤美奈子(編集者・批評家)
人文的な知性がますます生息しづらくなる出版状況を、今年も肌身に感じつづけた1年だった。「だから」なのか、「それにも拘わらず」なのか、求める1冊はやはり、ひとり思索する場所に深く導いてくれる人文書なのだった。そんな観点から、「神保町の匠」で紹介し損ねたものを含め、3点挙げたい。
●松村友視『近代文学の認識風景』(インスクリプト)
泉鏡花、森鴎外、北村透谷、宮沢賢治らの「認識風景」=世界の見え方を明らかにする過程は、いわゆる日本近代文学がこれまで強いてきた「読み」を強く揺さぶる。東西の複数ジャンルの文献を渉猟しつつ論点を鮮やかに切り取る著者の手さばきに魅せられた。30年にわたり書きついだ論考の集成という重みが、現代の自然科学的な認識にある限界を露呈させ、かつ物語が持つ可能性を力強く示している。
●池田善昭・福岡伸一『福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』(明石書店)
「匠」で紹介した通りだが、やはり一人でも多くの人に勧めたい。難解ではあっても、なぜいま西田哲学が必要なのかが言語化され、同時に、分節化され過ぎた世界に感じる息苦しさを吹き飛ばしてくれるからだ。時代の求めに応じておのずと開かれる言葉の地平があるとしたら、それは本書のキーワードである「ピュシス(physis)」ではないか、と密かに(しかしどこかで確信しつつ)思っている。
[書評]西田哲学を現代にひらく
●渡辺恒夫・三浦俊彦・新山喜嗣編著、重久俊夫・蛭川立著『人文死生学宣言――私の死の謎』(春秋社)
知ることができる死は、身近な他者=「あなた」の死(2人称の死)と距離のある他者の死(3人称の死)だけで、みずからの死は原理としては知り得ない。しかしそれでも、「この私」が死ぬこと(1人称の死)は事実である。そこにある「謎」を、臨床的、医療的にではなく、徹底して形而上学的なアプローチで考え抜こうとするのが本書「人文死生学」の立場だ。こういう場所の成立自体が意義深いが、5名の著者により哲学的、心理学的、現象学的、人類学的、宗教学的な追求がなされるなかで「他者」のすがた、「他者」の謎、「輪廻転生」のリアリティが立ち現れてくるさまに興奮した。1人称の死への思考が、他者とののっぴきならない関係を呼ぶのだ。主要論考3編を批判的に検討する章、さらにその批判に応える章が設けられることで、個々の思索に厚みが加えられてもいる。
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