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[書評]2017年 わがベスト3 (2)

『中動態の世界』『ユニクロ潜入一年』『SHOE DOG』……

神保町の匠

松澤 隆(編集者)
●國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)
 もし一冊なら本書。能動と受動、自明なはずの認識が心地よく突き崩され、語義の再吟味から《意志》のからくりの核心へと、(興奮は高まるが)苦痛を伴わず案内される。《忖度》の意味が激変した年の刊行も暗示的。ますます心と行為の相克、いや自己責任論から逃れられない時代に、必要なのはエセ心理学や擬似宗教の癒しではない。「あとがき」に曰く、「直面した問題に応答するべく概念を創造する――それが哲学の営み」。その際、西洋哲学史数千年を振り返りつつも、予定調和的な二元論に還元しない、本書が試みた周到で誠実なパースペクティブの設置こそ必須だと思う。体裁、造本も好感。
[書評]何層もの驚きの先の、ささやかな解放

●中島岳志『親鸞と日本主義』(新潮社)
 昭和前期の国粋主義の鼓吹と、過激な日蓮思想との親和性は、周知。しかし、その奥の院に親鸞思想があったという衝撃。「自力」を捨てるのは尊い。だが「権力に対する無力と無抵抗が常態化」し「沈黙の共同体」を生む危険性を孕む。さらに「他力」を誤ったらどうなるか。本書は「帰依」の方向を浄土でなくこの国の中心に据え替えた、学者・作家など著名な浄土信者の言行と影響を明らかにした意欲作。自ら真宗信仰を明言する著者は、「他力」そのものは否定しない。だが「検証しなければ、また私たちは同じ失敗を繰り返す」。切実。
[書評]「弥陀の本願」と「天皇の大御心」の間

●山本淳子『枕草子のたくらみ――「春はあけぼの」に秘められた思い』(朝日新聞出版)
 優れた研究者が古典の景色を一変させる好例。複数の『源氏物語』案内書でその魅力をめざましく知らしめてきた著者が、対照的な『枕草子』に絞り、ありふれた特色を作者の戦略的な選択という視点から読み直し、真価に導いていく。才女二人の対比も瞠目。『紫式部日記』が伝える酷評について曰く、「清少納言は紫式部に酷評されたのではない。させたのである」。
[書評]相対評価と絶対評価の違い

 ほかに、小島毅『儒教が支えた明治維新』(晶文社)東谷暁『山本七平の思想――日本教と天皇制の70年』(講談社現代新書)。前者は、浅薄な儒教批判を斥ける、決して復古的でない東アジア的な「国益」の見地からの理性的な日本検証。ここ10年の文章や講演の集成ながら各章末に現在の見解を短く添え、明治維新150年礼賛へ進む2018年に警鐘を鳴らす好著。後者は、健在なら昨今の有り様を痛烈に批判したはずの評論家の偉業を改めて痛感させる労作。ともに今年の重い《空気》の再確認を迫る。
[書評]どんな「空気」の中でも色褪せない「補助線」(『山本七平の思想』)

)『中動態の世界 意志と責任の考古学』 國分功一郎國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)

小木田順子(編集者・幻冬舎)
●國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)
 日常の些細な場面から人生の節目にいたるまで、誰もが感じたことがあるであろう、「する」でも「させられる」でもない行為の存在、「意志」や「責任」への懐疑。そんな実存的な問いへの答えを、「中動態」という古代ギリシャの文法概念に求めた話題作。アカデミックな研究の奥深い楽しさを垣間見させ、人生の風通しを良くしてくれる。「人文書ここにあり」という一冊。
[書評]何層もの驚きの先の、ささやかな解放

●横田増生『ユニクロ潜入一年』(文藝春秋)
 タイトルそのまま、アルバイトとしてユニクロで働いた記録。過酷な実態が生々しく描かれる。お気楽に買い物するのが申し訳なくなり、本書を読んだあとユニクロに行けずにいる。横田氏のジャーナリスト魂に頭が下がるのはもちろんのこと、訴訟リスクを引き受けて書き手を支える出版社も立派。権力・権威に異議申し立てするノンフィクションはやっぱり必要だと思わせてくれる一冊。

●楠木新『定年後―― 50歳からの生き方、終わり方』(中公新書)
 一向に成熟できないバブル世代が、副題を見て「これは自分が読む本だったのか!」と驚いて手に取ったのが、ベストセラーになった一因ではないだろうか(すみません、私のことです)。会社での地位や肩書がいかほどのものか、人生の価値は定年後の長い時間をどう生きたかで決まるといった、決して目新しくはないメッセージが心にしみいるのは、著者の取材力と筆力と行間からにじみでる人間性ゆえ。極上の自己啓発書。

 書籍編集者なので、すべてのベストセラーは学ぶべきお手本。でも『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』が新書の年間ベストセラー第1位(日版、トーハン共に)になったことには、怒っています。
大槻慎二 K・ギルバート「嫌中・嫌韓本」の悲劇――安倍首相と自民党こそ、儒教の具現者?(WEBRONZA)
福嶋聡 K・ギルバート氏の本で心地よくなってはならない――「日本は素晴らしい」と快感を覚えるより、そこに「他山の石」を見るべきなのだ(WEBRONZA)

井上威朗(編集者)
 私が働いているウェブメディアでは、国を問わず若い起業家の読み物が人気です。ところがこういった方々、油断するとすぐポジショントークが出てきます。

 こっちは何とか読者に役に立つ「新しい知見」を引っ張りたい。先方はそんなのバラしたらメシの種を減らしかねないので、なんとかごまかして株価が上がるような話に持っていきたい。こんな感じで綱引きに苦しむこともあります。

 でも、そんな御仁はマシなほうです。新しいものなど皆無で起業して、カッコいいイメージだけで成功してしまう人も大勢いる、というのも現実です。こうした手合いを記事にするのは本当につらくて……と思っていたら、ダン・ライオンズ著、長澤あかね訳『スタートアップ・バブル――愚かな投資家と幼稚な起業家』(講談社)が代わりに赤裸々に暴露してくれて、読みながら何度も快哉を叫んでしまいました。一部の起業家なる人は、中身が空っぽでも、ここまで徹底的に自分も周囲も騙して突っ走れるんだなあ……とよく理解できる痛快書であります。

 その逆で、中身が詰まりすぎている起業家本の大傑作が、フィル・ナイト著、大田黒奉之訳『SHOE DOG(シュードッグ)――靴にすべてを。』(東洋経済新報社)。ナイキ創業者がたぶん天然で、徹底的にポジショントークをやり倒し、敵はひたすら悪く書き、仲間は超絶カッコよく書きまくっています。ここまでポジティブに赤裸々なら、株価対策で書かれた若い起業家の皆様の本をなぎ倒してベストセラー街道驀進中なのも、よくわかる話であります。
[書評]「止まったら死んじゃう人」が本当に全力で走り続けたらすごいことに!

 起業家と関係なく、単にすごい本も1つ。世田谷文学館編『澁澤龍彥 ドラコニアの地平』(平凡社)。展覧会図録ゆえ最低初版部数が確保できているせいかもしれませんが、登場する著者陣も書籍内の企画のバラエティも、実に濃厚ですごいことになっております。もちろん、澁澤先生最晩年の食い意地張った様子がわかる貴重原稿など、楽しい読み物も満載。こういう本を作れる編集者がうらやましくてなりません。

 最後に選外2つ。水谷竹秀『だから、居場所が欲しかった。――バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)もやはり、編集者として羨望ばかりが募る良書でした。一方で、こんな実直な本作りがなぜ難しくなってきているのか、杉原淳一/染原睦美『誰がアパレルを殺すのか』(日経BP社)にある業界破滅のプロセスを読むと理解できるような気がしました。本当、新しいことをやらないといけないよなあ。

WEB書評 三省堂書店×WEBRONZA 神保町の匠