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映画『女の一生』、ステファヌ・ブリゼ監督に聞く

「この作品は、ある幻想と、幻想の終わりを描いています」

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

『女の一生』拡大『女の一生』 (c)Michaël Crotto / TS Productions 
 光溢れるノルマンディー。公爵家の娘ジャンヌの眼前には、輝く人生が広がるように見える。だが、「一生、愛する」と誓った夫は不貞に走り、愛する息子も心すれ違う。美しき人生の色合いは、やがて醜く濁り出す。ピュアで孤独なひとつの魂を見つめる『女の一生』

 監督は『ティエリー・トグルドーの憂鬱』がカンヌ映画祭最優秀男優賞(ヴァンサン・ランドン)を受賞し、現代フランス映画を担う存在となったステファヌ・ブリゼ。文豪モーパッサンの不朽の名作を原作とする映画『女の一生』は、本国でその年の最高のフランス映画に授与されるルイ・デリュック賞やベネチア国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞した(ともに2016年)。日本の劇場公開に寄せ、ブリゼ監督に映画制作の裏側を伺った。

まずは「人間の生活の場所」を作る

ステファヌ・ブリゼ監督(c)Julien Millet拡大ステファヌ・ブリゼ監督 (c)Julien Millet
――原作がフランス文学の金字塔であるモーパッサンの小説です。この古典のどこに惹かれたのでしょうか。

ブリゼ 私は映画に取りかかる際、自分を投影できる登場人物を必要とします。19世紀を生きたブルジョワの娘ジャンヌは、時代も立場も違いますが、私が完全に感情移入できる人物でした。

 人は子供から大人になる時、心も体も急激な変化に晒されます。それは唐突な暴力さとでも言うべきもの。やがて醜い嘘や欺瞞に出会い、この世は美しいだけではないことにも気がつきます。ジャンヌは理想化された美しい人生に留まろうとし、ある意味で子供時代を葬り去ることができません。かつて自分も世界に対する理想の中に閉じこもっていた時期が長くあったのでよくわかるのです。

――ジャンヌはナイーブ過ぎる人物とも言えそうです。スクリーンに向かって、思わず「ダメ男に負けるな、早く目を覚まして!」と声をかけたくなりました(笑)。しかし彼女のナイーブさは、どこか胸を打つところがあるのです。

ブリゼ ジャンヌが世界に向けるピュアな眼差しは、おそらく間違いを含んでいるでしょう。世界を理想化し、不幸なドラマを生む源にもなります。しかしそのナイーブな視線こそが、彼女を美しい人物にもしています。普通の人なら問題にぶつかった時、凡庸な妥協策で手を打ち、やり過ごすこともできるでしょう。しかし彼女の場合、そのような誤魔化しができないのです。

――ジャンヌの夫や息子などは大変エゴイストで、現代でもよくいそうなタイプに見えます。

ブリゼ あの夫はひどいです(笑)。女性に嘘をつき、平気で裏切れる男性です。残念ながら現実にも多く存在するでしょう。しかし、彼は彼自身の物語を背負ってもいます。彼は没落した貴族で、自分より裕福なジャンヌの家柄のおかげで名誉を回復できます。興味があるのはジャンヌ本人でありませんから、心は他所の女性を求める。彼なりには正直な振る舞いなのです。

――ユニバーサルで今も響く刺激的な作品であるからこそ、古典たりえるとあらためて思いました。

ブリゼ ひとつ言えるのは、これは19世紀という時代についての作品ではないということです。女性の条件についての物語でもありません。これはある幻想と、幻想の終わりを描いています。それは今、私たちが生きる世界と根底で繋がっているのではないでしょうか。今、私たちは集団的な無意識において、幻想の終わりの時代を生きています。アメリカでは、理想を追い求めたオバマの時代は終わり、トランプ大統領が誕生しました。ヨーロッパも一枚岩ではありません。ある壮大な幻想が終わり、緊張と狂気の世界に入ったのです。

女の一生』拡大『女の一生』 (c)Michaël Crotto / TS Productions
――まさに夢から覚めた今の時代と呼応するような物語です。何周か巡って、また今こそ味わうべき物語かもしれませんね。さて、ジャンヌ役のジュディット・シュムラをはじめ、出演者はみな19世紀を生きているというより、今この瞬間に息をしているような驚くべき生々しさがありました。演じるというより、ただ目の前に存在しているのです。どうしたらそのような演出が可能になったのでしょうか。

ブリゼ コスチューム劇を演出する際に私が戦うのは、人々が頭でこしらえたコスチューム劇への凝り固まったイメージです。例えば、シミひとつない美し過ぎるドレス、トラベリング(移動撮影)を駆使した流麗なカメラの動き、あるいはそれを捉える堂々たるシネマスコープの画面……。私はこれらの出来合いのイメージから逃れ、作品にあるリアリズムを持ち込みたいと願いました。

 とはいえそんな理想を言っても、私は19世紀を生きてはいません。私がそのリアリズムを知っているのかという問題もあります。しかし、皆だって19世紀を生きてはいません。結局、誰もわからないのです。だとしたら時代を問わず、自分が興味を持つ部分を掴むことに注力しました。作り物的な空気を避けるため、俳優の演技やカメラの位置は特に大事でした。

――俳優に細かく動きを指示するより、まずは場所を用意するということでしょうか。

ブリゼ そうですね。まずは「人間の生活の場所」を作るのです。そしてドキュメンタリー監督だったら、おそらくはここに置くだろうという場所にカメラを置きます。空間をお膳立てし、その中で信頼する俳優に動いてもらいます。そこから私が興味のある部分を抽出するのです。

ようやく映画という道具を使いこなせるようになった ・・・ログインして読む
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筆者

林瑞絵

林瑞絵(はやし・みずえ) フリーライター、映画ジャーナリスト

フリーライター、映画ジャーナリスト。1972年、札幌市生まれ。大学卒業後、映画宣伝業を経て渡仏。現在はパリに在住し、映画、子育て、旅行、フランスの文化・社会一般について執筆する。著書に『フランス映画どこへ行く――ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』(花伝社/「キネマ旬報映画本大賞2011」で第7位)、『パリの子育て・親育て』(花伝社)がある。

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