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[書評]『アリと猪木のものがたり』

村松友視 著

高橋伸児 編集者・WEBRONZA

「世紀の凡戦」は「世紀の傑作」だった

 モハメド・アリとアントニオ猪木。ボクシング界を超えて20世紀を代表する世界的スーパースターと、日本を代表するプロレスラー。

 1976年6月、この両者が「格闘技世界一決定戦」と銘打たれた試合で「奇跡的に」激突する。しかし試合は、リングに寝転がってキックを繰り返す猪木に、立ったままのアリが時折パンチを繰り出すのみで、ドローに終わる。過剰な期待の裏返しか、一転「世紀の凡戦」として非難囂々(ごうごう)の嵐が巻き起こり、世は騒然となった。

 本書は、プロレスに耽溺してきた村松友視が、この二人の邂逅に至るまでを社会的歴史的に辿り、この「凡戦」をあらためて解読、両者の奇縁と、著者の人生との交錯を描いたものだ。

『アリと猪木のものがたり』(村松友視 著 河出書房新社) 定価:本体1600円+税『アリと猪木のものがたり』(村松友視 著 河出書房新社) 定価:本体1600円+税
 当時、中学生だった僕は、プロレスの熱心なファンではなかったが(ジャイアント馬場など有名レスラーぐらいはもちろん知っていた)、モハメド・アリは自分の中でも傑出したヒーローだった。決戦当日は土曜日、昼の授業が終わるなり息せき切って帰宅、テレビの目の前に陣取った。だが試合が進むにつれ、これは何かの間違いだ、このまま終わるはずがない、と焦りが募った。15ラウンドのゴングを聞いたときの脱力感、空虚感たるやなかった。それは夜の再放送ですべて見直しても変わらなかった。どちらのファンも、似たような気分だっだろう。

 この試合の4年後、著者は、のちにベストセラーになった『私、プロレスの味方です』を発表する。本書で当時をこう振り返る。

 「私は、嘲笑ぶくみの大バッシングに抗弁し、試合を評価する言葉が絞り出せなかった。これは、“世間”に対する私の及び腰のせいでもあり、……“言葉の弾丸”の欠如によるものでもあった。……“世間”の秩序感覚や通念による嘲笑、冷笑、酷評の大バッシングに対して、作家としていわば泣き寝入りをしたことになるのだ」

 この本は、40年余にわたり「臥薪嘗胆」の思いを抱えてきた者によるリターンマッチなのだ。オールドファンには、「アリ+猪木」という固有名だけで心魂を揺さぶられるのに、この前口上にはグッとさせられてしまう。

 さて、世界の、そして日本のヒーローは、いかなる文脈で交錯することになるのか。僕なりの解釈も交えて、ざっくりまとめるとこうなる。

 一つは「差別」との闘いである。よく知られているように、1960年ローマ五輪で金メダリストになっても黒人差別を受け続けたアリ(当時の名はカシアス・クレイ)は、「過激な」黒人活動をしていたブラック・モスレムに傾倒し、マルコムXにも一時魅せられていた。その後はベトナム戦争の徴兵を忌避し、タイトルを剝奪されるが、国家や白人社会によるその“報復”が、彼の履歴に依るのは間違いないだろう。差別され、「“個”の怒りを“公”の主張に昇華させ、その独自の発想と勇気によって、破格な光彩と影響力をおびて拡大していった」のが、「ブラックパワーの政治的表現者」としてのアリなのだ。

 一方、猪木は、早くからブラジルに渡り、コーヒー農園で働いた。当時北米や中南米への移民たちが受けた扱いは言わずもがなだろう。レスラーへの道を切り開いたのは力道山だったが、彼の出自は朝鮮である。闇の世界との関係も取り沙汰されていた。

 そもそも、プロレスじたいが、差別と蔑視の対象だった。プロレス黎明期は報道していたNHK(!)や一般紙も早々と無視するようになる。スポーツの体裁をとりながら、スポーツではなく、かといって他のエンターテインメントとも異質な立ち位置。それは今でも同じだろう。こうした「世間」の眼に抗い続けてきたのが、猪木だった。

 さて、先ほどから繰り返している「世間」とは、著者によれば「堂々と罷り通る大多数の意見を是とする姿勢の群れ」のことだ。この本は二重、三重にそうした「世間」への違和で貫かれている。本書で紹介される両者をめぐる一つ一つの事実は目新しくはないものの、この「世間」による「差別、蔑視」という共通の軸で切り取った点が本書の核の一つだと思う。

 さて、こうした二人が、アリの気まぐれとしか思えない呼びかけがきっかけで戦うことになる。だがここにはもう一つ、アリと猪木との圧倒的な力関係の差があった。アリは試合の直前になってケガを恐れ、猪木にルール上の制約を次々に課すのだ。

 世界的なメジャースポーツのスーパーヒーローと、東洋の島国の、スターとはいえ、いわば日陰の存在であるプロレスラー。試合を無理にする必要がないアリに対して、猪木は是が非でも実現したかった。それは、当初冷めた目で見ていたボクシング界や、「“世間”の秩序から向けられているプロレスへの差別感を炙り出し、プロレスにからみつく“汚名”を一気に張らすための起死回生の一打」を放つためだ。このあたり、著者は、アリ側に無理難題を押しつけられる猪木に寄り添いつつ筆を進めるのだが、その筆致の印象は「忠臣蔵」を見る感覚に近い、と言ったら著者に怒られるだろうか。「差別や蔑視」の共通項と、あまりに非対称な二人。こうした捩(よじ)れた関係性を浮き彫りにしたのが本書の第2の核と言ってよい。

 こうした文脈で戦われた15ラウンドすべてを著者は入念に検証していく。40年前、著者は「イノキの側に立って見ているあまり……自分の興味をひたすら勝ち負けにだけ向けて見ていたことから、かなりのシーンを見逃していた」。だが、両者の所作、アリの数少ないパンチ、多発する猪木のキック、二人の身ぶり、表情、言葉……を凝視するなかで、「リング内の2人の特権的な孤独感の通じ合い」と、「二人にしかわからない」感情の交歓の深化が活写されていく。このあたりの語り口は著者の真骨頂である。

 僕もこの本を片手に試合を見直してみたのだが、(本書の影響はもちろんあるが)発見の連続だった。尋常ではない試合の濃度、緊迫感。「世間」が命名した「世紀の凡戦」は、「世紀の傑作」だったのではないのか。専門家の間でこの試合が再評価されつつあるというのも腑に落ちる。

 アリの公式サイトでも多くの資料でもこの試合は彼のキャリアからは除外されている。しかし、試合から19年後、アリはすでにパーキンソン病に冒されていたが、猪木が主導した北朝鮮でのスポーツイベントに同行する。本書を読み終えつつある読者は、「特権的な孤独感」で通じ合った彼の行為に何の違和感も覚えないだろう。最終章で、アリと現場にいた著者との「いたずら」をめぐるやりとりは微笑ましくも哀切に富む。村松友視、77歳。見事に落とし前をつけた。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。