「映画づくりは、子供たちに大きな成長をもたらすと思います」
2018年01月30日
気がつけば、この映画『ライオンは今夜死ぬ』そのものが、フィクションとドキュメンタリーの境界線を軽やかに漂っていた。見る者を心地よい目眩(めまい)に誘い込む、慎ましくも偉大な傑作の誕生だ。
監督は『M/OTHER』『不完全なふたり』などで知られ、国際的にも高い評価を誇る諏訪敦彦。監督にとっては8年ぶりの待望の新作となった。主演は、『大人は判ってくれない』で鮮烈なデビューを果たしヌーヴェル・ヴァーグと伴走、現在も第一線で活躍を続ける伝説の俳優ジャン=ピエール・レオー。映画の可能性を限界まで切り拓くふたりの映画人のコラボレーションは、これ以上ないほどに刺激的だ。1月20日の日本公開に先駆け、パリで作品紹介に奔走中だった諏訪監督に話を伺った。
――本作はまさにジャン=ピエール・レオー以外では成り立たぬ作品かと思います。まず監督として、彼のどういったところに惹かれたのでしょう?
良い例かわからないのですが、例えばサイレントの時代に、チャップリンやキートンが演技をしています。無声映画でクローズアップもありません。彼らが今の映画に、そのままで登場することはできないじゃないですか。それはおかしなことになる。似たようなことがジャン=ピエールにはあると思います。彼が今どんな映画にも、どんな役でも出られるかというと、それは難しい。あまりに特別だし、「そこらへんの靴屋の親父をやって」と言ってもできない。
――たしかに特別な存在感です。
諏訪 単に「特別」とか「個性的」とかいうよりは、彼がある映画的な革新と一体化していたからでしょう。だから彼を撮ってみたいと思ったのです。もし彼をフィクションで撮るなら、映画の側が変わらないといけない。彼の居心地の良い場所を見つけるには、僕がこれまでやってきたことと違うことをやらなければと思いました。彼と一緒にやれば、何かまだやったことのないものに触れられるのでは、と。簡単に言えば、この人を撮ったら面白そうだと。
でも、そこに難しさもあると思うのです。普通の物語で、どこか普通の街に住んでいる人物という設定は用意できません。だから最初は彼をどう扱えばよいのかを探りながら、プロジェクトを進めました。例えば、相手役は幽霊などにしないと対峙できない。幽霊くらい特殊な存在じゃないと(笑)。あとは子供とか。
――まさに本作では、幽霊や子供と自然に向かい合うレオーがいました。諏訪監督ご自身も、現代において映画を革新し続けてきた方なので、本作でのレオーの起用が、驚くほどしっくりくる理由がわかった気がします。さて、この映画で印象的なのは降り注ぐ光です。南仏の明るい光に満ちています。たとえ「死」をテーマに扱っていても、陰鬱さはありません。それは諏訪監督の『M/OTHER』(99)の時代と全く違うと思うのですが。何か心境の変化などがあったのでしょうか。
諏訪 こじつけと言えばこじつけですが、自分は個人的にも体を壊したり、病気になったりということがありました。人は弱くなった時は、より生きることとか、健康であることの喜びの方に開くと思うのです。さらに言えば、今は日本だけでなく、世界全体も悪い方向に行っています。「フクシマ」以降、もっと光に向かいたいとか、そういう気持ちも生まれたと思うのです。現実が厳しい時には笑おうよ、というところがあるわけです。『M/OTHER』をやっていた時は、まだ社会の方は呑気さがありましたよ。バブルが弾けたとはいえ。
そういえば以前、パリのシネマテークから、「髪」をテーマに短編を依頼され、『黒髪』(2010)という作品を作ったことがありました。かつて広島の被曝で髪が抜けるという現象がありましたが、この映画では、現代において髪が抜ける理由がないのに抜ける女の子が登場する。撮った時は、こんなことはありえないからこそフィクションで体験しようと思ったのですが、今だとシャレにならない状況なわけです。
――現実が映画の方に近づいてしまいましたね。さてレオーとのエピソードで、まだ外に出てないものがあれば、ぜひ教えて頂きたいのですが。
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