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[書評]『〈妊婦〉アート論』

山崎明子 藤木直実 編著

野上 暁 評論家・児童文学者

孕んだラブドールが挑発的にあぶりだしたもの  

  <妊婦>アートという耳慣れない言葉と、まさにそれを象徴するような、カバーの表面から裏面につながる展覧会場を思わせる空間に展示された、それぞれ豊満な全裸の妊婦写真に眼をうばわれた。

 神々しいまでに美しく魅惑的で、想像力を生命の始原にまで誘引するような優美さがある。ところが、よく見ると首から腕にかけてと、脇の下から足にかけて、かすかにつなぎ目のようなものが見える。なんとそれは、ラブドールと呼ばれる人形だったのだ。この衝撃的などんでん返しが、この本のテーマに被ってくる。

『〈妊婦〉アート論——孕む身体を奪取する』(山崎明子 藤木直実 編著 青弓社) 定価:本体2400円+税『〈妊婦〉アート論——孕む身体を奪取する』(山崎明子 藤木直美 編著 青弓社) 定価:本体2400円+税
 ラブドールとは、男の性欲処理のためのアダルトグッズで、2000年ごろまでは「ダッチワイフ」と呼ばれていたセックスドールである。

 もともとはビニール製で空気式の簡素なものだったが、21世紀に入ってからは、シリコン製のリアルな造形の人形が「ラブドール」として販売されるようになったのだという。

 アンドロイドやサイボーグなどの人工身体や人工生命のあり方に関心をいだいていた美術家の菅実花は、セックスドールの腹部を膨らませて妊婦の姿に造形したアートプロジェクト『ラブドールは胎児の夢を見るか?』で、ラブドールが妊娠するという架空の設定を描いてみせた。

 これを見て大いに触発された編者たちは、2016年に「孕む身体表象――その身体は誰のものなのか?」というシンポジウムを開催する。それを土台にして、この本は成り立っているのだが、序章“妊婦表象は何を語るのか”で編者の山崎明子はそのねらいについて以下のように記している。「既存の家父長制の生殖システムは、美しく幸福な妊婦像をつくり出し、望ましい出産とは何かを提示することで、妊娠表象をコントロールしてきた。それに対して女性たちは、自己の身体を取り戻し、理想的な妊娠表象を再読・転覆しようとしてきた」と。

 そして、その読み直しによって生み出されたものは、「家父長制にとって、過剰な性と倣慢な欲望が表出する逸脱と恐怖の表象だったといえるかもしれない」と述べる。菅の作品が象徴的に喚起するように、女性たちの妊娠体験が、規範に絡め取られることなく、豊かな社会表象となりうる社会への一助となることがこの本のモチベーションだと言う。

 第1章“未来の母としての「妊娠するアンドロイド」をめぐって”は、編者らに衝撃を与えた人形の製作者・菅実花の寄稿である。菅は「いわばサイボーグ的人間像を体現するかのように、メイクアップや美容整形を通して自らの意志で身体をコントロールしていく現代の女性たちにとって、半永久的に老化しないラブドールとは、憧れの身体が具現化された姿だと言えるのだ」と述べる。そのためか、都内のギャラリーで開催するラブドール展示会を訪れるのは、半数以上が女性なのだそうだ。

 菅はさらに、出生の人工的操作による「望ましい子ども」というデザイナー・ベイビーのあり方が受容され始めている現在、理論上の「パーフェクト・ベイビー」の創造も可能になるとすれば、妊娠するアンドロイド同様に、今日の生殖概念を根本から揺るがすことになるだろうと述べる。

 そして、「妊娠するラブドールという、その美しいアンドロイドの見る胎児の夢が『完璧な子ども』であるならば、それは私たちに、人間とは何なのか、あらゆる選択に自由をもたらすテクノロジーとは何なのかを問いかける命題ともなりうるだろう」と記すのだ。

 第2章“マタニティ・フォトをめぐる四半世紀――メディアのなかの妊婦像”(小林美香)は、妊娠した身体を美しいものとして撮影する記念写真・マタニティ・フォトがどのような経緯を経て成立したかを検証する。マタニティ・フォトの専門スタジオができ、大きなお腹に水溶性の絵の具を使って胎児へのメッセージを描くマタニティ・ペイントというボディ・ペイントも登場。自撮り世代の妊婦たちが、インスタグラムなどのSNSで妊娠体験を披露する一方で、マタニティ・フォトは女性が社会の中で置かれている状況や、女性の身体にまつわる価値観を反映して形成されてきたという経緯も見逃せない。

 第3章“「妊娠」を奪取する――女性作家による「妊娠」表象を読む”(藤木直実)は、近代国家の成立と同時期に「妊娠」は国家のコントロール下に置かれ、それが日清・日露戦争による国民国家の拡大とともに管理強化されてきたなかで、文学作品が妊娠をどうとらえてきたかを鋭くえぐる。前提に斎藤美奈子の『妊娠小説』(筑摩書房)があるのだが、戦後の倉橋由美子「パルタイ」や、河野多恵子の「幼児狩り」、小川洋子の「妊娠カレンダー」、内田春菊の「ファザーファッカー」、村田沙耶香「殺人出産」と展開する女性作家たちによる妊娠小説分析はエキサイティングだ。

 第4章“「あるべき」女児用人形とは何か――「妊娠」した女児用人形をめぐって”(吉良智子)は、近代日本の人形史をたどりながら、戦後のファッションドールとしてのアメリカの「バービー人形」が妊娠したものを売り出した時の反響と、「リカちゃん人形」が「リカちゃんがママになりました! こんにちは赤ちゃん」が発売されたときの反応の違いが面白い。「あるべき家族像や少女像に対してはからずも一種の問題提起となった妊娠した女児用人形は、妊娠可能な身体を持っているにもかかわらず、妊娠してはならないという家父長制社会における虚構のルールからのずれを見せてくれる」と吉良は言う。

 第5章“胎盤人形――見世物と医学と美術のはざま”(池川玲子)では、「胎盤人形」とか「懐胎人形」「お産人形」「産科人形」と呼ばれる人形の存在から、西洋助産史や18世紀のフィレンツェで制作された蝋細工による「メディッチ家のビーナス解剖模型」などが紹介される。子宮内から胎児が出現するという精巧に作られた模型はヨーロッパ全域に出回り、解剖学を教えるために使われたり医学系の博物館に置かれたりしたと言う。

 第6章“日本美術に描かれた「妊婦」――中世の仏教思想と産む身体へのまなざし”(池田忍)では、「源氏物語絵巻」「藤の衣物語絵巻」「餓鬼草子」などを紹介しながら、妊娠出産の描かれ方を考察する。

 第7章“妊婦と人形がアートのうえで出会うまで”(香川檀)は、美術は妊娠した身体をどのように造形してきたのか、西洋美術史の中での妊娠描写をたどりながら、クリムトの妊娠した全裸の女性を描いた「希望Ⅰ」などを解読し、現代のフェミニズム・アートに至る。そこでは、アメリカでフェミニズム・アートが誕生する何年も前に、田部光子によりマネキン人形の一部を使った「人工胎盤」と題した作品が作られていたことも紹介される。

 菅実花の『ラブドールは胎児の夢を見るか?』の衝撃は、グラフ誌の表紙写真や文学作品・西洋絵画・絵巻・人体模型・玩具人形まで含めた古今東西で様々に表現された多様な〈妊婦アート〉をあぶりだし、その読み解きを通して女性の妊娠経験を社会的な規範から解き放つのだ。

 カラーによる菅の作品をはじめ、贅沢なくらい豊富な図版のそれぞれもテーマを補完してインパクトがあり、その解読も含めてまさに挑発的で刺激的な一冊である。そしてまた、少子高齢化の現状打破のための国による妊娠奨励や、軍事国家への傾斜が危惧され男権主義が息を吹き返しそうな中で、この本から示唆されることは大きい。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。