「ブラックフェイス」は、“忌まわしき過去の象徴”
2018年02月06日
つい先日発表されたアカデミー賞ノミネートでは、メイクアップ&ヘアスタイリング賞部門に、日本人の特殊メイク・アーティストで芸術家の辻一弘氏の名前があがった。映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』で、ウィストン・チャーチルの、卓越したそっくりさんメイクをゲイリー・オールドマンに施したことに対してのノミネートである。
ハリウッド映画と言えば、特殊メイクを思い出す人も多いであろうが、今回の辻メイクは、いかに本人らしく変身させたかという、リアルの巧みさ、がポイントであった。
一方、お笑い番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の年末番組「絶対に笑ってはいけない アメリカンポリス24時!」(日本テレビ系)でダウンタウンの浜田雅功が映画『ビバリーヒルズ・コップ』でエディ・マーフィが演じた黒人警察官のそっくりさんとして登場した件は、「黒塗りメイク」の是非を巡って論争が続いている。同じメイクでありつつ、片やアカデミー賞ノミネート、片や人種差別に当たるかどうかで、日本人が一時、世界注視の的となったわけである。
本稿では、アメリカ映画の「人種メイク」を紹介しながら、この問題を再考してみたい。
「ブラックフェイス」と呼ばれるメイクのルーツは、19世紀アメリカで白人が“愚かな黒人”を演じて人気を博した大衆劇ミンストレル・ショーにまでさかのぼることができる。
注意したいのは、ブラックフェイスとは、浜ちゃんのように単に黒人に扮する、という意味ではないし、辻氏のように「本人そっくりにメイクする」という意味でもないということである。アメリカで、白人の素人役者が、“黒人らしさ”を誇張し、悪趣味な演技をする際のお約束であった即席メイク、それがブラックフェイスであり、キャラクターの一部になっているのである。具体的には、焼いたコルクの炭を使って顔を極端に黒く塗り、唇には大きく白または赤で「タラコ唇」を描いた。稚拙ではあるが、一種の特殊メイクと言ってよい。
ブラックフェイスでダンスや寸劇などを演じるうちに、観客受けの良い、人気キャラクターが誕生する――気のいいだけの爺や(Uncle Tom アンクル・トム)、太って陽気な乳母 (Mammy マミー)、マヌケな若者(Coon クーン<Racoon>=アライグマの略称で、若い黒人男性を動物に例えたもの)、そしてクーンの子供時代の悪ガキ(Pickaninny ピカニーニ)である。こうした定番キャラクターを演じる者と観客(どちらも白人)が、いわば仲間うちで、黒人をネタにして、貶め、ライブ感あふれる「嗤い」を分かち合う大衆劇、それがミンストレル・ショーの実態であり、一時期、ブームとなったのである。
こうしたミンストレル・ショーのキャラクターのなかでも、浜ちゃんの黒塗りメイクと、特に似ているのは、若い黒人男性キャラクターのクーンである。
クーンの中でも特に人気を博したのは、ジム・クロウとジップ・クーンというキャラクターである。
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