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[書評]『戦前日本のポピュリズム』

筒井清忠 著

奥 武則 ジャーナリズム史研究者

「政党批判」と「天皇シンボル」の存在  

 ポピュリズムの主要な内実は、日本語で言えば、劇場型大衆動員政治である。その意味で、ポピュリズムは何も近年の現象ではない。戦前日本にも劇場型大衆動員政治はあった。そして、その先に日米戦争という破滅があったのである。

 日露戦争の後、ロシアとポーツマス講和条約が結ばれた。賠償金が得られない講和に反対する国民大会が日比谷公園で開かれ、暴動になった。多くの警察署が焼き打ちされ、新聞社も襲われた。7人が死亡し、多くの負傷者が出た。1905年9月に起きた日比谷焼き打ち事件である。

 著者は、この事件に政治的大衆の最初の登場を見る。

『戦前日本のポピュリズム——日米戦争への道』(筒井清忠 著 中公新書) 定価:本体920円+税『戦前日本のポピュリズム――日米戦争への道』(筒井清忠 著 中公新書) 定価:本体920円+税
 日露戦争中、たびたび戦勝祝捷(しゅくしょう)会が開かれた。新聞社は祝捷会を広く告知するだけでなく、自ら主催した。劇場型大衆動員政治において、メディアは「劇場」を作りだし、大衆を「動員」する。日露戦争中に「勝利」を喧伝し、大衆を熱狂させた新聞に深くかかわって、日比谷焼き打ち事件の暴力的大衆は生まれたのである。

 日比谷焼き打ち事件の延長に昭和戦前期の劇場型大衆動員政治があった。その間、1925年には普通選挙法が成立している。大衆は選挙というかたちで政治の世界へ入力されるより大きな存在となった。

 普通選挙が実施される前には、松島遊郭事件、陸軍機密費事件などがスキャンダルとして大々的に新聞をにぎわした。そこでは「大物」を含む多くの政治家が登場した。著者は、次のように述べる。

 《普選を前にここでも大衆の興味を引きやすい話題のみが取り上げられて注視され、議会政治の地盤は掘り崩されていったのである》

 この時期の劇場型大衆動員政治につながる出来事として、著者は朴烈(パク・ヨル)怪写真事件に注目する。朴烈は関東大震災後の混乱のさなか、内縁の妻金子文子とともに検束され、治安警察法違反容疑で起訴された。周辺人物の逮捕などを経て、事件は大逆事件の様相を帯びてくる。

 朴は死刑、金子は無期懲役の判決を受けるが、朴は恩赦で無期懲役に減刑される。金子は自殺し、予審調室で撮影された朴烈が彼女を膝の上に載せた写真が流出するといった展開もあり、新聞はセンセーショナルに報道する。

 野党は、朴烈の減刑をめぐって内閣の責任を追及した。そこに、「天皇」シンボルが登場する。恩赦は天皇の名で行われる。怪写真の流出で明らかになった司法当局の「威信失墜」に加えて、「大逆犯人」についてみだりに減刑を奉請したとして糾弾されたのである。

 政党間の権某術策に満ちた泥仕合を経て、結局、憲政会若槻礼次郎内閣は、金融恐慌の発生もあって総辞職に追い込まれた。

 著者は、この間、「天皇」の政治シンボルとしての絶大な有効性を一部の政党人が悟ったことを重要な点として指摘している。この天皇シンボルの存在こそ、戦前日本における劇場型大衆動員政治の最大の特質となっていく。

 「本格的二大政党」の時代の到来が言われる中、天皇シンボルは野党が政権党を批判する有効な武器として繰り返し使われた。よく知られた出来事は1930年に調印されたロンドン海軍軍縮条約をめぐる統帥権干犯問題である。

 時の浜口雄幸政友会内閣は、天皇・宮中グループの支持と状況に追随する新聞世論の支援によって批准承認をどうにか勝ち取った。だが、それは政党内閣の勝利ではなく、政党の外にある勢力に依存した危うい結末でもあった。

 1931年9月に勃発した満洲事変は、状況に追随する新聞世論による劇場型大衆動員政治を見せつけることになる。軍制改革、財政整理などを大きな論点にしていた新聞は事変勃発とともに戦地からの大々的な報道を展開し、大衆の戦争への熱い支持を取り付けることになった。

 天皇シンボルが大きな政治的有効性を発揮した出来事は、1935年に起きた天皇機関説事件である。新聞はやはり大きな役割を果たす。同年5月8日の大阪毎日新聞の論説が引用されている。次はその一節。

 《されば若し美濃部博士にして今の内に其罪を悔いて翻然転向をしないならば、其不臣の罪は子々孫々にまで及ぶであろう事を注意して置きたい》

 日中戦争が泥沼化するなか、大衆の圧倒的な人気を背景に近衛文麿首相が登場した。新聞に加えて、ラジオやレコードも大衆を動員するメディアとして力を発揮する。近衛は1937年6月4日の組閣当夜、「全国民に告ぐ」というラジオ放送を行った。史上初めての試みであり、近衛はその後もしばしばラジオを通じて自らの声を国民に届けた。普通選挙が始まった時期とは違う劇場型大衆動員政治の新しい段階が始まった。無内容な「新体制」が叫ばれ、日本は日米戦争へ突入した。

 戦前日本のポピュリズムの構造として、著者はメディアによる一貫した政党批判が持ったネガティブな意味を指摘している。政友会・民政党の2大政党が対立した時代、地方に至るまで官僚が「政党化」した。地域社会の分極化である。たびたびの不正事件やスキャンダルもあって、メディアは政党の弊害を声高く叫んだ。

 大衆は、「悪しき政党」を超える中立的な力による分極化した社会の統合を求めることになった。天皇シンボルの存在と重なって、そこには一種の「天皇親政型中立主義」を待望するムードが生まれた。

 戦前日本のポピュリズムは、1度目は政党政治への反発の中で生まれた。2度目は既成政党を超える「何ものか」を求めて駆動した。

 戦前日本で劇場型大衆動員政治はどのようにして始まったのか。いかなる特質を持っているのか。歴史から安易な「教訓」を導くのは慎むべきだが、本書における歴史社会学者の具体的にして冷静な分析は、現代日本を考える上でも大いに示唆的である。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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