心の傷を仲間と乗り越える子供たちを描く
2018年02月19日
かつて、長編アニメーションの生産国はアメリカ、日本、欧州諸国など一部の先進国に限られていた。しかし、現在は世界各国で多数の長編アニメーションが制作されており、日本でも日々劇場公開されている。そして、その多くを占めるのは2Dや3D-CGで制作され、魔法・超能力・異世界などをモチーフとした華やかなファンタジーだ。
2月10日に公開された『ぼくの名前はズッキーニ』(2016年、スイス・フランス)は人形アニメーションの長編であり、その内容も技術も実に画期的な作品である。映画は、両親を亡くした孤児や育児放棄された児童たちが暮らす施設「フォンテーヌ園」を舞台に、心に深い傷を負った主人公「ズッキーニ」が同じような境遇の少年少女たちと交流する中で成長していく姿を描く。アヌシー国際アニメーション映画祭最優秀作品賞・同観客賞他、世界各国で20以上の賞を受賞した。
クロード・バラス監督は、児童虐待や育児放棄といった社会的テーマに正面から向き合い、ドキュメンタリーを思わせる静的な演出でじっくりと見せる。
ゴツゴツした質感の頭部は一見クレイ(粘土)風だが、実はクレイの原型を3Dプリンターで表皮のみ出力して制作され、中は空洞だ。大きな眼球はトラックボールのように指で自在に動かすことが可能で、まぶたや口はマグネット式で差し替えられる。
長編の人形アニメーションは、制作が数年にわたることや資金集めが困難なことから制作本数が少ない。さらに、ヒット作や受賞作となると皆無に近く、安定して作り続けることも難しい。昨今国内外の人形アニメーション作品の公開が相次いでいるが、それはここ数年で急速に普及したデジタル技術やネット環境によって制作環境が整備された成果という側面もある。
本作にも造形・撮影・編集などに最新のデジタル技術が導入されているが、基本はポーズや表情をミリ単位で動かして撮影する伝統的なコマ撮り(ストップモーション)だ。アニメーターは気の遠くなるような手作業の積み重ねによって人形たちに生命を宿す。1日にたった数秒しか完成しないこともある。まさに作り手の思いを紡ぐ作業であり、少年少女の心の機微を描くのに最も相応しい技法と言えるのかも知れない。
2017年11月末、公開に先駆けて来日したクロード・バラス監督を取材させて頂いた。原作圧縮の苦労、舞台となる施設のリサーチ、演出の意図、そして高畑勲監督・宮崎駿監督の影響に至るまで広範に伺った。
『ぼくの名前はズッキーニ』
2016年/スイス・フランス/66分 原題/Ma vie de Courgette
監督/クロード・バラス
脚本/セリーヌ・シアマ
原作/ジル・パリス「Autobiographie d'une courgette」
配給/ビターズ・エンド、ミラクルヴォイス
2016年アヌシー国際アニメーション映画祭最優秀作品賞・観客賞/第89回アカデミー賞長編アニメーション部門ノミネート/第42回フランス・セザール賞最優秀長編アニメーション賞・最優秀脚色賞/東京アニメアワードフェスティバルTAAF2017 長編部門優秀賞 他受賞/全米映画批評サイトRotten Tomatoes満足度100%
2018年2月10日(土)より、東京・新宿ピカデリー、YEBISU GARDEN CINEMA他にて公開中
公式サイト
クロード・バラス(Claude Barras)
1973年、スイス・シエール生まれ。フランス・リヨンの美術学校エコール・エミール・コールでイラストレーションとCGを学ぶ。『Fantasmagories(原題)』(1997年)など、短編アニメーションを多数制作。ストップモーションで制作された『Le génie de la boîte de raviolis(邦題「ラビオリ缶の妖精」または「魔法のラビオリ缶」)』(2006年)が国内外の映画祭で受賞。初の長編監督作品『ぼくの名前はズッキーニ』(2016年)は、フランス・アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門クリスタル賞(グランプリ)・同観客賞他、世界各国で多数の賞を受賞。アカデミー長編アニメーション賞にもノミネートされた。
――映画鑑賞後に原作であるジル・パリスの小説(※和訳版)を読みました。子供たちを追ったドキュメンタリーのような長い原作を見事に整理・圧縮していることに改めて驚きました。
――和訳(旧版)では「ズッキーニ」が「へちま」と意訳されていましたが、どちらにしても変わった呼び名ですね。
バラス 原作に記された「Courgette」は、確かにフランス語で「ズッキーニ」を意味するのですが、「Courge」だと「カボチャ」の意味になり、一般的には見下したような意味合い(どてかぼちゃ、かぼちゃ野郎など)を持つのです。そこにフランス語圏で愛称の語尾によく付けられる「――ette」を掛け合わせて「Courgette」と呼んでいたのではないでしょうか。母親がズッキーニを「Courge」ではなく「Courgette」と呼んでいたことは、二人の関係に少なからず愛情があったことを示していると思うのです。
――なるほど。端的な表現に深い意味が込められていたのですね。フォンテーヌ園に設置されていた子供たちの「気分予報板」(※子供たちの気分が天気にたとえて一覧表に示されているもの。毎日自分で気分を選んで示す)も端的で分かりやすいですね。
バラス 映画制作にあたって3週間ほど作中と同じような環境の施設に滞在して、子供たちと過ごしました。そこに実際に「気分予報」があったのです。この滞在では他にも色々なヒントをもらいました。
※ジル・パリスの原作小説『Autobiographie d'une courgette』(2002年初版)は、実在の児童施設やカウンセラーに取材した上で創作され、フランスで25万部を売り上げたベストセラー。日本では、2004年に安田昌弘氏の訳により『奇跡の子』というタイトルでポプラ社から出版された。この旧版では、主人公の呼び名である「ズッキーニ」は日本では馴染みがないことから「へちま」と意訳されていた。2018年、映画公開に際し『ぼくの名前はズッキーニ』のタイトルでDU BOOKSから新装版が発行され、主人公の名も「ズッキーニ」に修正された。
――原作には子供たちが大変過酷な環境に置かれていたことが具体的に記されていて衝撃を受けました。原作では、ズッキーニは母の銃で遊んでいて、取り上げようとする母ともみ合っているうちに暴発事故が起きてしまう。映画では、母は階段から転落したらしいという描写に留められています。母は足が悪くて階段を上れないのでズッキーニは天井裏に隠れて遊んでいるわけですが、そうした説明も省かれています。フォンテーヌ園で暮らす子供たちの数も先生の数もかなり絞られていますし、子供たちの虐待や不幸な境遇についても、過度の説明を挟まず淡々と日常を綴っています。原作を削ぎ落とす際の判断には、何か基準を設けていらしたのでしょうか。
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