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[2]「女性=スカート」という規範意識・習慣

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

リクルートスーツリクルートスーツは男性はズボン、女性はスカート姿が圧倒的多数だ

ハイヒールから立ち居振る舞いまで

 スカートないしスカート型の服装がもたらす問題は、村上信彦の先駆的な『服装の歴史(1)~(3)』(講談社文庫、1979年)で論じられた。歴史的に見て男性社会が、女性が両足を分ける服装を身につけることに、どれだけ強い抵抗を示してきたかは、驚くべきものである(ヨーロッパでも日本でも。ただし村上によれば歴史的な変遷は東西では異なるようである)。ドイツには「私の妻はズボンをはいている」(Meine Frau hat die Hosen an.)という言い方があるが、これは妻が夫を尻に敷いているということを意味する。ズボンをはくことは、象徴的な意味で用いられると同時に、少なくとも観念の上では実質的な意味(活動性ひいては権力)をも有すると理解されている。ヨーロッパには夫と妻とがズボンを取り合う風刺画まである(村上同上(3)、138頁)。

 一方、日本ではスカート型のキモノ(和服)が女性のものとされ(男性は同じ型のキモノを着ていても尻を端折ることもできたし、必要ならば股引をはくこともできた)、明治期以降にスカートにひきつがれるが、村上は、戦中に普及した「モンペ」を介して、戦後、女性の地位向上を背景にようやくズボンが普及し始めた事実を論じ、そして女性解放の必然的な帰結として近未来においてそれがさらに進むであろうと予想している(村上同上(3)、182頁以下、 特に268-70頁)。実際、1980年代になると、Tシャツ・ジーンズに見るように、服装の「ユニセックス」化は非常に進んだ。

 また、70年代のフェミニズム運動に影響力のあった駒尺喜美氏は『女を装う――美のくさり』という本を編集執筆したが、そこにも、1960年代以降の変化を示す証言を見ることができる(勁草書房、1985年、 iii頁;ただし199頁ではTシャツさえ「女物」は襟ぐりの開きが大きいと指摘されている)。

 だがこの本では、それにもかかわらず依然として強い規範性が、女性の装いに求められている事実を、フェミニスト的視点から問題にされている。そこでは、スカートばかりか、キモノ・帯、化粧、靴(ハイヒールを含む)を含むより広い装いが論じられ、また本質的にハイヒールやキモノの帯と同じ性質を有する纏足(てんそく)やコルセットも、視野に入れられている。執筆者らは、女性にとってこれらの装いが、「美しさ」「女性美」の名の下に、女性の精神に対して拘束的に機能し、また女性の身体をも強く拘束する――スカートやハイヒールなど――点を問題にした。

 それから30年、服装の「ユニセックス」化はさらにすすみ、女性がズック靴をはきズボンで歩く姿はごく当たり前の光景となった。とはいえ、女性が自ら、自らにふさわしい装いを自由に選ぶことは依然として困難なままである。

各種の女装とフェミニストの努力

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