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幻冬舎問題にみる百田尚樹と見城徹という「偶像」

今野哲男 編集者・ライター

見城徹拡大出版界の「レジェンド」として実績を残してきた幻冬舎社長・見城徹氏

消費社会の伝説のエディターとしての見城徹

 で、見城氏である。彼が編集者として残してきた長きにわたる業績の数々は、本欄の読者にとって、たぶん多言する必要はあるまいから、ここは簡略に報告するにとどめよう。75年に、映画と書籍のメディアミックスだった「角川商法」で時代の寵児に上り詰めた角川春樹氏が君臨する角川書店に入社して以来、彼は『野生時代』(現・『小説 野生時代』)の副編集長、ついで文芸・音楽誌『月刊カドカワ』(休刊)の編集長として稀な活躍を続け、つかこうへい、山田詠美、村松友視など計5人の直木賞作家を世に出し、さらには森村誠一(『人間の証明』)、村上龍(『トパーズ』)といった時代を画する多くのベストセラーを手掛けて、60年代末の反体制運動の影響と機運がまだ色濃く残っていた70年代の後半、そこから一転してバブルに向かう80年代の高度消費社会、さらには90年代初頭に起きたバブル崩壊後の、後に「失われた10年」と呼ばれるようになる不況の時代の、都合三つの異なる時期にわたって、一貫して「見城伝説」とも言うべき、いずれも大きな足跡を残してきた。

 しかも、彼の興味は純文学にとどまってはいなかった。ジャンルを違える坂本龍一、松任谷由実、尾崎豊などとも深く親交を持ち、その成果をそれぞれベストセラーとして実らせているのだ。そして93年、コカイン密輸事件で逮捕された角川春樹氏の社長退任を機と見て、見城氏は取締役編集部長の職を最後に角川書店を離れ、何人かの部下を率いて、いよいよ幻冬舎を立ち上げる。その後の揚揚たる会社の発展については、ご存知の方が多かろう。では、この「見城伝説」は、どのようにして成立したのだったか。

編集者としては、20世紀の人だった

 それについては彼の自著が、巧まずして雄弁に語ってくれている。

 すなわち、①『たった一人の熱狂――仕事と人生に効く51の言葉』(双葉社、2015年、現・幻冬舎文庫)で語られている、狂乱と喧騒の日々の賜物のように豪放で、60年代末のキーワードの一つだった「自己批判」は影すらもなく(こんなことを言うのは、見城氏自身が自著の中で、ことさらに高野悦子や吉本隆明といった当時のスターたちを扱うという、自己矛盾を抱えているように見えるからだ)、その結果として、常に当時の世の中に逆方向からおもねる独特の癖のあるコピーワークを備え持っていたこと。

 さらに、②ときに自ら進んで『編集者という病い』(太田出版、2007年、現・集英社文庫)を病み、また『異端者の快楽』(太田出版、2008年、現・幻冬舎文庫)に溺れるという、演出過多で(おそらくそれなしではいられない人だったのだろうと思う)、所謂フェイクすれすれの、あえて塀の上を歩いて行くような独創的なノウハウで作りあげたイメージがあったこと――因みにこれらの著書の表紙には、いずれもかつては「容貌」に引け目があったという彼の写真が、誇らしげにフィーチャーされてもいる。

 この二つの要因を武器に、三つの時代にわたって世の中を説き伏せることができたのは、一つにはマッチョな意匠の下で展開された彼の企画が、70年代後半→80年代→90年代初頭という、互いに位相を変えながらも、荒っぽく言えば、互いに相反しながらも「20世紀」という時代の軸で一つに括ることができる、ある文化的な連続性が人々の中に存在していたからではないかと愚考する。二つ目には、編集者の初期に早くも達成され、その後も長く新たに刻印され続けたベストセラーをプロデュースする圧倒的な実績がある……。

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筆者

今野哲男

今野哲男(こんの・てつお) 編集者・ライター

1953年生まれ。月刊『翻訳の世界』編集長を経てフリーに。「光文社古典新訳文庫」に創刊以来かかわり、また演劇体験をいかして『セレクション 竹内敏晴の「からだと思想」』全4巻(藤原書店)などを編集。著書に『竹内敏晴』(言視舎評伝選)、共著に森達也との『希望の国の少数異見』(言視舎)、インタビュアーとしての仕事に、鷲田清一『教養としての「死」を考える』、吉本隆明『生涯現役』(以上、洋泉社)、木村敏『臨床哲学の知』(言視舎)、竹内敏晴『レッスンする人』(藤原書店)、『生きることのレッスン』(トランスビュー)など。現・上智大学非常勤講師。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです