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[書評]『アウシュヴィッツの歯科医』

ベンジャミン・ジェイコブス 著 上田祥士 監訳 向井和美 訳

松本裕喜 編集者

ホロコーストから生きのびる  

 書名と表紙のつくりにひかれて手に取ってみた本だったが、一気に読めた。本当にノンフィクションなのか疑わしいほど波乱万丈のストーリーが次から次へと繰り広げられていく。主題の重さからともすれば敬遠しがちになるアウシュヴィッツをテーマにした本としては抜群に読みやすい記述と言っていいだろう。

『アウシュヴィッツの歯科医』(ベンジャミン・ジェイコブス 著 上田祥士 監訳 向井和美 訳 紀伊国屋書店) 定価:本体1900円+税『アウシュヴィッツの歯科医』(ベンジャミン・ジェイコブス 著 上田祥士 監訳 向井和美 訳 紀伊国屋書店) 定価:本体1900円+税
 著者の一家はポーランド西部の小村に住み、父は穀物商を営んでいた。ポーランドでは、ナチスの台頭する以前からユダヤ人差別は日常的にあったと著者はいう。

 1939年9月、ドイツのポーランド侵攻を受けて第2次世界大戦が勃発、ナチ党とそれに追随する住民たちのユダヤ人への迫害がはじまった。翌年には村のユダヤ人たちはスラム街のあとにつくられたゲットーに集められ、さらに41年5月、著者と父親はシュタイネックの強制労働収容所に移され、母と兄と姉はゲットーに残された。

 収容所は寝台、洗面所、便所、どれをとっても劣悪な設備だったが、とりわけ食事に悩まされた。朝食は楔型の硬いパン一切れと黒ずんだコーヒー、昼食はドロドロに煮たてられたカブのスープで、最初は吐き気を催したが、空腹に負けて食べるようになる。

 著者たちは往復で4時間かかる鉄道敷設工事の作業場に毎日歩いて通う。与えられた仕事は、森の泉から手桶に水を汲んで運ぶ作業だった。その朝、森のなかで近くの農園で働く娘たちに遭遇する。著者は娘の一人ゾーシャと恋に落ち、毎日森で会うようになる。ゾーシャや建設現場の炊事係スターシャのようにユダヤ人への偏見のないポーランド人もいたのである。記憶のなかで理想化されている面もあるだろうが、著者が何よりもこの本で語りたかった(思い出したかった)のは、このゾーシャという女性の存在だったかもしれない。

 当時、歯科医学校の1年生だった著者は、収容所にも歯科治療道具の入った小さな箱を持参していた。収容所には医務室があったが、歯科医はいなかった。ビタミンが不足していたせいでほとんどの収容者に歯肉からの出血があった。そこで医務室担当者から指名された素人同然の著者が歯の治療を行うようになった。著者は収容所では「歯医者」と呼ばれるようになり、この後何度も移される収容所でも歯科治療を続けることになった。

 ナチスという絶対的な権威のもと、強制収容所では裏切りと拷問が横行する。著者の発案で収容者たちは作業場近くのパン屋からパンを手に入れていたが、収容者からの告げ口でそれがばれ、著者は厳しい尋問と革の鞭による拷問を受けた。著者はしらを切りとおすことで絞首刑を免れ、かばった看守との友情も保たれたが、その後遺症として、すさまじい恐怖心と胃の痛みを抱えて生きて行くことになった。

 翌年春には父とともに25キロほど離れたグーテンブルンの収容所に移される。労働は同じ鉄道の敷設工事だった。ある日トラックの荷下ろしをしていた収容者がジャガイモをポケットに入れたのを見つかってしまい、2日後ゲシュタポによって絞首台に架けられる。以降、グーテンブルンでは木曜日が処刑の日になり、ささいな罪で処刑される人の数が増えた。しかし、栄養失調と過労で死ぬものの数のほうがはるかに多かった。収容所のなかでは顔が土気色になり「死にかけている者」を「ムスリム」と呼んでいたとの気になる記述もある。

 人間は複雑である。ここの収容者頭は両親の一方がユダヤ人だったが、自らの不運を仲間のユダヤ人への威嚇によって晴らしていた。彼はナチスの寵愛を失って、のちに死ぬ。一方、職長のドイツ人のエンジニアはナチ党員だったが、ヒトラーの無意味な戦争を嫌い、ユダヤ人労働者を虐待することはなかった。強圧的な権力のもとで誰もが服従を強いられていた時代だったが、ユダヤ人への対し方は人それぞれであったようだ。

 ここにもゾーシャが訪ねてきてくれ、収容所から脱走し、自宅の地下室に隠れ住むように熱心にすすめてくれた。しかし著者はその申し出を断ってしまう。あまりにリスクが高すぎるように思えたからだ。そして、この時がゾーシャとの最後の逢瀬となった。

 1943年8月、著者と父親など2600人の収容者は家畜用貨車50両でアウシュヴィッツへ移送される。アウシュヴィッツでは、まず健常者と虚弱者の選別が行われた。労働力にならないとみなされた虚弱者を待ち受けているのはガス室だ。シャワー室で洗われた後、体中の毛をそられ、一人一人に番号が与えられ前腕に入れ墨される。以後、収容者は人格をはぎ取られ、名前ではなく番号で呼ばれるようになる。著者の番号は141129だった。2週間後にはアウシュヴィッツの付属収容所の一つフュルステングルーべ(高貴な炭坑)収容所に移され、石炭の採掘作業に従事させられた。

 虫歯に悩む人はどこにでもいる。ほどなくこの収容所にも歯科診療室が開設され、著者はここでも歯科診療を始めた。体力を消耗する過酷な労働からは解放されたが、新たな試練が待ち構えていた。SS隊員のブリッジや冠(かぶせもの)に使うため遺体から金歯を抜き取って来るよう命令されたのだ。それもアウシュヴィッツの歯科医の仕事だった。

 この後著者は別の収容所に移され、1945年5月にはバルト海沿岸で撃沈されたカップ・アルカナ号にも乗り合わせるが、幸運にも生きのびて、戦後はアメリカに移住。名前もブロネク・ヤクボヴィッチからベンジャミン・ジェイコブスに替わった。

 本書の出版は1995年、著者の体験から50年を経過しての回顧録である。検証を重ねたとしても、記憶違いや潤色も混じっているのではないかと思う。しかし、よくもこれだけ当時の状況を生き生きと再現できたものである。

 V.E.フランクルの『夜と霧』(みすず書房)のような重厚な自己洞察が盛り込まれているわけではないが、著者には他者を冷静にみられる観察眼が備わっていて、それがこの本の魅力を生み出している。つまり、普通の人の眼で眺めた、収容所内での生活風景とさまざまな人間模様がよく描きこまれているのである。

 そして、悲惨な現実のなかでも著者の語り口は驚くほどポジティブというか明るい。

 ここでは紹介しなかったが、著者は母と姉の安否を尋ねて深夜に女性収容所を訪れるような危険な行動も敢行している。唐突な比喩だが、私はこの人の不屈の生への意志のなかに、映画『大脱走』のスティーブ・マックイーンのような、破天荒な、すがすがしい風を感じた。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。