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[4]女装への憧れと同時に現れる「政治性」

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

女装した漁師らが大漁旗やこいのぼりで飾り付けた船の上で扇子片手に浮かれて踊る奇祭「大瀬(おせ)まつり」女装した漁師が踊る「大瀬(おせ)まつり」(静岡県沼津市)。女装は日本文化の様々なところに現れる

「女装」のしんどさ・性暴力の危険性

 連載第3回で紹介したような女装を試みた文化人は、その結果、逆に見えてきた、「女装」――ここでは女性自身の普通の装いを「 」をつけて「女装」と記す――の「しんどさ」でも指摘してくれたらよかったのだがと、私は思う。

 『たまゆら』では、例えばハイヒールをはく大変さを述べた人は何人かいるが、残念だが突っ込んだ発言はほとんどなかった。もっとも、短時間の体験で分かることにはおのずと限度がある。長年ハイヒール――典型的な女装に見られるような10センチもあるヒールでなかったとしても――をはき続けて外反拇趾になる女性がいるが、「たまゆら」の女装では、つまり周囲を歩き回るという体験でもしなければ、それはなかなか分からないのではないか。またハイヒールをはくと、疲労・炎症・腰痛等を起こしやすくなる(ただし私の理解はしょせん読書を通じた知識でしかないかもしれないことはお断りする)。

 そして女装家たちには、女性がしばしば遭う性被害などのことも、この際知ってもらいたかったと思う。一部の例外をのぞき、ほとんどの人にとって限定された空間での、かつ一時的な女装体験であっては無理だとは思うが、その気になれば十分な想像力を働かせることはできたのではないか。

 例えば性転換をしたある男性は、「女性」になり「女装」(スカート姿)し始めたばかりの頃、列車内で痴漢にあい、

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