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[9]最後は「過去を再定義できた人」が勝つ

梅田悟司 電通コピーライター・コンセプター

連載「『と思います』禁止令」と著者の梅田悟司さん連載「『と思います』禁止令」と著者の梅田悟司さん

過去は変えられない、は本当か?

過去を出来事ではなく、意味合いで捉え直す
 2018年も4月を迎える。学校や会社は4月はじまりのところも多いため、気持ちを新たにするチャンスであると言える。思えば、つい3カ月前には新年を迎えたばかりで、気持ちを新たにしたはずだ。しかしながら、3月末には、私を含めて、精細を放っていた気持ちも徐々に色あせてくる頃である。その点から言っても、4月の存在は大変ありがたいものであると言える。

 4月には新生活を迎える人も多いだろう。新入学や新社会人、会社の部署異動で新天地で心機一転新たな業務に就くひともいるだろう。世の中に目をやれば、働き手不足から引っ越し難民という日本ならではの新たな難民が生まれ、引っ越しの金額が高騰したり、思ったような日取りで引っ越しできない人もいるようだ。こうした状況に際して、出鼻をくじかれたと感じることもあるだろうが、新しいことずくめの4月だからこそ、春の陽気に踊らされることなく冷静になることも重要であると考える。

 そこで、あえて気にしてみていただきたいのが「過去」の存在である。

 私が心掛けているのは、過去を考える時にはあえて未来について、未来を考える時にはあえて過去について思いを馳(は)せることである。そうすることで、視野が狭くなるのを避け、現在を中心に過去と未来を両手に持って考えを進めることができるようになってくるからである。

 そのため、第3回のコラムで記載したように、過去について問われる就職活動ではあえて未来について思いを馳せることが有効だ。同様に、未来志向になりがちな4月には今までの自分を育んできた過去について改めて考えてみるといい。

[3]面接で過去の話ばかりしてない?

 過去は変えられない。未来は変えられる。だから、未来を考える。

 これが一般的に未来志向が良いとされる論拠である。未来が無限の可能性にあふれていることは否定の余地もない。その一方で、「過去は変えられない」という点については、その言葉をうのみにするのは非常に危険で、もったいない行為であると言わざるを得ない。

 なぜならば、過去の出来事は変えがたい事実であるが、過去の持つ意味合いは自身の捉え方によって幾らでも変えようがあるからだ。

 もちろん、過去の事実は変えることができない。無理に変えようとすると、過去を歪(ゆが)めたり、ねじ曲げることで、自分に嘘をつくことになる。その結果、心のわだかまりを抱えながら生きていくことになるため、お勧めすることはできない。

 その一方で、過去の意味合いを変えることはできる。この意味合いを分かりやすく説明するならば「過去があったから今がある」という、時系列での関係性と言い換えることができる。そして、過去の意味合いは、何か出来事が起きたその瞬間で生まれ得るものではなく、未来から当時を振り返ることでしか見出すことができないものなのだ。

 たとえば、仕事で取り返しのつかないような失敗をしたとしよう。その場では「どうにか挽回(ばんかい)しよう」「この失敗をばねにしよう」と考える。しかし、この時点ではまだ出来事でしかなく、事実の範疇を超えるものではない。仮に、内面に対する変化を与えていたとしても、まだ反応に過ぎない。

 しばらく時間が経過した後に、ふと気が付くことがある。

 「もしかしたら今日があるのは、あの日があったからではないか」と。

 それこそが過去の意味合いであり、過去に対して自覚的になってはじめて認識することができるようになるのだ。そして、人生の文脈とも言える関係性が、自分を前に進ませる力になっていく。

過去と現在との間に補助線を引く

過去と現在との間に補助線を引く
 人生は一つの物語であり、ストーリーである。過去と現在、そして現在と未来は地続きの関係にある。一念発起することで、人生の非連続点を作ろうと躍起になることもあるのだが、なぜ非連続点を作ろうと思ったのかという動機にまでさかのぼって考えると、やはり過去からの連続性を無視することはできない。

 その点で言えば、過去を振り返りながら現在を思ったり、未来に思いを馳せることは、過去という点と現在という点、もしくは未来という点を結び付けて線に変えていく作業と考えることができよう。人生が真っすぐな線で結ばれることは皆無である。歪んでいることは当然のことながら、

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