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必見!『ビガイルド 欲望のめざめ』(下)

ドン・シーゲル版との比較

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』の公式サイトより拡大『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』公式サイトより

 1971年に撮られたドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演の「The Beguiled」、すなわち『白い肌の異常な夜』(以下、シーゲル版、〔★★★★★+★〕)は、ソフィア・コッポラ版と物語の基本線においては大きな違いはない。著しく異なるのは、前述のように、シーゲル版にはエロティシズムが濃厚に息づいている点だが、何より、名女優ジェラルディン・ペイジ扮するマーサ園長の放つ妖艶さに、目を奪われる。なにしろ、この年増盛りの園長は、学園にかくまわれたマクバニー(クリント・イーストウッド)に対して悶々と欲望をつのらせ、ねちっこい視線を彼に絡みつかせ、さらに夢の中ではマクバニーと激しく情交するばかりか、恋敵であるはずのエドウィナ(エリザベス・ハートマン)や、女生徒キャロル(ジョー・アン・ハリス:コッポラ版のアリシア/エル・ファニングの役)ともレズビアンの抱擁シーン(フェミニズム的!?)までやってみせるのだ。

 いや、そればかりではない。じつはマーサは過去において兄と関係を結んでいたのだが、マーサと兄の情事がフラッシュバックで映像化されることで、彼女の淫蕩さはより強く印象づけられる。

 しかも、マーサ/ジェラルディン・ペイジをめぐる一連は、とりわけヒッチコックふうの階段の場面で顕著な、光と影のコントラストを効かせた表現主義的な明暗法の画調、および彩度の高いテクニカラーの鮮やかな色感ゆえに、狂気じみたサイコノワール的なテイストが前面に出る。何度かナレーションとして挿入される、マーサとマクバニーの内的モノローグや前記フラッシュバックも、また冒頭で傷を負って学園に運び込まれる際の、そしてラストで毒を盛られた際の、マクバニーの意識の混濁を彼の視点から表す、揺れながら回転する仰角のバロック的主観ショットも、そうしたサイコノワール風味を増幅しているが、簡潔さを旨とする93分のコッポラ版では、独白的ナレーションもフラッシュバックもバロック的な空間描写も、一切なされない。

 そして105分のシーゲル版における、名手ブルース・サーティースのカメラによる熱のこもった画面の連鎖は、いうまでもなく、コッポラ版の彩度を落とした底冷たく薄暗いそれとは好対照をなすが、そのことに見合うように、コッポラ版のマーサ/ニコール・キッドマンは、マクバニー/コリン・ファレルに心惹かれはするものの、ついぞ取り乱すことはなく、そのクール・ビューティぶりを崩しはしない。

<男性性>と<女性性>という二つの焦点

 ところで、シーゲル版のマクバニー/クリント・イーストウッドは、マーサ/ジェラルディン・ペイジのファム・ファタールめいた婀娜(あだ)っぽさに対抗しうる、ふてぶてしい悪党ぶりをいかんなく発揮し、マーサに気のある素振りを見せる一方で、堅気の教師エドウィナ/エリザベス・ハートマンを言葉巧みに口説きつつ、早熟なキャロルとも情を交わす。

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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