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花のタネを配りながら、公明選挙を呼びかける「一日都選管委員長」のザ・ピーナッツ=東京・数寄屋橋公園で拡大花のタネを配りながら、東京都知事、都議会議員選挙の投票を呼びかける「一日都選管委員長」のザ・ピーナッツ=1963年4月、東京・数寄屋橋公園で

オリジナルソングを求めて

 『モスラ』は、本人たちも渡辺プロも東宝も気づかないままにピーナッツを歌手以外の何者か、または歌手を超えた何者かへ変容させた。ところが人々は、この変容を好意的に迎え、彼女たちを時代のアイコンへ押し上げてしまった。年少のファンは、『シャボン玉ホリデー』に出演している双子姉妹が「小美人」の仮の姿であると信じたがったという逸話もある。

 しかしピーナッツが歌った主題歌「インファントの娘たち」には、まるで幽閉された「小美人」にわが身を重ねたような寂寥感が滲みだしている。

 明るい歌をうたっていても
 こころはしずむ 海の底
 わたしのほほは 笑っていても
 こころを包む黒い霧
 人差し指を額に当てて
 真昼の月に
 お祈りしよう
 稲妻光る波間から
 雲間から 応えて倖せ
 やってくる

 双子の姉妹はおそらく幼いときから、周囲の人々の視線を浴び続けることを生きる上での条件とみなしていたにちがいない。そうした視線はいつか空気のようにいつもそこにあるものになっていた。また芸能界の住人になった以上、「見世物」であることは覚悟せざるをえないと観念していたのではないか。

 しかし二人はこの頃から、「かわいい娘たち」であり続けることに不安や不満を抱き始めていた。そんな気持ちが垣間見える発言もときにあった。もっともこれは、場数を踏み、技量を高めた歌手としての、ごく自然な態度ではある。

 それでも、ピーナッツについていえば、彼女たちが「かわいい」を脱却するのはそれほど簡単なことではなかった。なぜなら先に述べたように、ピーナッツの「かわいい」は彼女たちが双子であることからきていたからだ。「かわいい」をやめるには、究極的には双子の歌手をやめなければならない。だから「かわいい」を“卒業”し、しかも二人で歌いつづけるには、その必然性を歌で語っていく必要があった。それは恋を通して双子が一人ひとりの女性へ脱却していく歌、すなわちピーナッツ・オリジナルな歌でなくてはならなかった。

 実はピーナッツは、チャンスのすぐ近くまで来ていた。それは、稲妻の光る波間や雲間からやってくる巨大な蛾(モスラ)ではなく、まだあまり実績のない作詞家と作曲家との共同作業だった。ピーナッツが彼女たちにしかできない歌の世界をつくりだし、そこへ身を投げ出すに足る作品がようやくやってきたのである。

 最初のきっかけは、ニッポン放送の朝7時からの10分枠(月曜日~金曜日)の番組、「キートンおじさんと二人の子」だった。“キートン”とは、戦前から「あきれたぼういず」で活躍した益田喜頓その人である。そして1年足らず続いたこの番組を引き継いで、次はエミとユミが中心になって新番組を回すことになった。番組タイトルは「ザ・ピーナッツ」。当時のプロデューサー、佐々光紀によれば、「二人の他愛ないコント風のやりとりをミュージカル仕立てにしようってことで。その前の番組から伴奏はシックス・ジョーズで、宮川さんがアレンジをしてたんですが、引き続き出てもらって。あとはピーナッツに一曲歌ってもらうというスタイル」だった。

 そして佐々は、「番組が始まってすぐに、ピーナッツはカヴァー曲ばかりでオリジナルが無いなっていう話になりましてね。これは番組の目玉にもなるし作ってみようじゃないか」と思い立つ。最初は、「若い頃の遊び仲間だった」安井かずみ(当時はみナみカズみ)に作詞を依頼、少し後には岩谷時子が参加する。作曲を担当したのは、ピーナッツの音楽面の教師役でもあった宮川泰である。デビュー以来、アレンジャーとしてピーナッツの歌を支えてきた宮川は、身を乗り出すようにして曲を書き始めた。

 2008年にリリースされた『ニッポン放送だよ ピーナッツ!』(キングレコード)には、当時放送され、以来録音されることのなかった「今月の歌」が10曲収められている(上記佐々の発言もこのCDのライナーノーツに所収)。1965年まで続いた番組だから、放送された数多くの作品のごく一部ではあるものの、作品のレベルはかなり高い。私には耳新しいものばかりで、特に60年代初頭の伸びやかで情感豊かなピーナッツの歌はすばらしい。また戦後歌謡曲史で重要な位置を占める作品も含まれている。たとえば、1961年3月放送の「プランタン、プランタン」は、宮川の作曲歴においてもっとも初期の作品であり、「月影のナポリ」の訳詞(「千家春」名)でピーナッツと出会った岩谷にとってもごく初期のオリジナル詞である。

 ~朝 目が覚めたら 春でした~
 小鳥がかごで プランタン プランタン プランタン
 夫婦のパセリが プランタン プランタン プランタン
 スキーを担いだ となりの兄さん
 窓からのぞいて プランタン プランタン プランタン
 あなたが出かける 春山に 雪割草が咲いていたら
 背中のリュックに 入れて帰ってね
 プランタン プランタン 待ってます
 プランタン ふたりで
 ~朝 目が覚めたら 春でした~
 子猫が屋根で プランタン プランタン プランタン
 紅茶のレモンが プランタン プランタン プランタン
 カンバス担いだ 絵かきのおじさん
 垣根の外から プランタン プランタン プランタン
 あなたが出かける砂浜に ピンクの貝が落ちていたら
 胸のポッケに 入れて帰ってね
 プランタン プランタン 待ってます
 プランタン ふたりで
 プランタン プランタン 待ってます
 プランタン ふたりで

 文字通り春の訪れに心を弾ませる可憐な歌である。詞の中に登場するモノやヒトは、1番では小鳥・パセリ・スキーを担いだ青年、続く2番では子猫・紅茶のレモン・カンバスを担いだ絵描きといったように、情景を変えながら、みな明るい陽射しを受けた“モダンライフ”の点景である。

 岩谷が巧みなのは、次々に目に入る小さな景色をわずかな空隙を置いて繋ぎ合わせるだけで、淡い色合いの物語を生み出してしまうところだ。その物語は、まるで舞台の書き割りのようだが、“モダンライフ”は生きられるものではなく、演じられるものだと考えれば合点がいく。作詞家・岩谷時子のバックグラウンドは演劇の世界にあった。

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役。国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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