戦争のとらえかたに、がっくり。吉本新喜劇テイストの間違った入れ方
2018年04月05日
「わろてんか」が最終回しか笑えなかった理由――察するに「3つの方針」があり、結局はゼロになってしまい
朝ドラ好きとしてしみじみ思っているのは、戦後70年以上たった今、世代を超えて戦争というものを伝えていくという役割が朝ドラにはある、ということだ。
上梓したばかりの拙著『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)にも書いたのだが、朝ドラは1966年の大ヒット作「おはなはん」以来、「女の一代記」を描いてきた。以来、今でもヒロインは昭和という時代を生きた女性となることが多い。
となると、戦争というものを描くことは避けて通れない。
女性目線で戦争を見れば、それは壮大な徒労でしかなく、そのことを歴代の朝ドラはさまざまな角度から描いてきた。マイフェイバリット朝ドラの一つ「カーネーション」では、ヒロインの糸子(小篠綾子がモデル)は「戦争なんてもん、勝つなり負けるなり、チャッチャと終わらせてほしいわ」と心でつぶやき、ミシンの供出を逃れるために軍服を縫った。8月15日、玉音放送が終わると「さ、お昼にしょうけ」と立ち上がり、その姿に制作者の「意志」が感じられた。
「あまちゃん」な日々に「カーネーション」を思う理由(WEBRONZA)
「わろてんか」も明治35年から始まるドラマなのだから、戦争は避けて通れない。ましてやヒロインは、エンタテインメントを担う日本一の会社の社長なのだ。「当局」と「ご時世」が出てくるのは当然なわけで、前回書いたようにそれを見ている側にびっくりさせてどうする、という話ではあるが、それは置いておいて。
まずは、内務省による検閲強化が描かれた。台本を提出する、朱が入る。ここは不謹慎だ、ここは削れ、そんな様子だ。こういうことをどう評価し、どう描くか。それはすなわち、戦争をどうとらえるか、ということになる。
「わろてんか」の制作チームが出した答えが、伊能というカッコいい社長の、クールな目線だったと思う。
伊能は無声映画の時代から外国映画を輸入し、自ら制作にも乗り出す。伊能商会の社長室には、いつも自社制作と思われる映画のポスターが飾ってある。
その部屋に軍人が入ってきて、「これからは大いにお国のためになる映画を作ってもらいたい。劣情を催す恋愛映画や、米英の思想にかぶれた映画などもってのほか」と威張る場面が描かれた。伊能は「もちろん日本のため、大衆のためになる映画を、これからも作ってまいります」と答える。大衆をキーワードにした、抵抗。
が、それもどんどん通じなくなる。「恋愛映画が目の敵にされる時代がまともなわけがない。こういう時こそ、愛や自由をうたった映画を作るべきなんだ」とてんに信念を語る伊能だったが、抵抗などしていたら生き残れないというのが社の多数意見となり、追い込まれていく。
一方の北村笑店では、戦地に芸人を送り、兵隊を慰問することを新聞社から持ちかけられ、「わろてんか隊」を派遣することになる。これは吉本興業が派遣した「わらわし隊」がモデルであり、史実に基づいての展開だ。
伊能は、この慰問団の派遣についてもクールな意見を述べる。
「経営者としては正しい判断だと思う。ただ軍部と近づき過ぎないほうがいい。僕らが何より優先すべきは、大衆のための娯楽だ」
社長室から、そうてんに電話する。横には映画「愛の偶然」のポスターが飾られている。
が、「わろてんか」、残念ながら、ここまでなのだ。
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