新曜社編集部 編 最果タヒ他 著
2018年04月16日
1996年、漫画家・岡崎京子は都内の自宅近くで散歩中、飲酒運転の車に轢かれて重傷を負う。以来、リハビリが続き、彼女の新たな作品は読めなくなってしまった。だが、『pink』『ヘルタースケルター』などの代表作はいまだに世代を超えて読み継がれている。折々に雑誌で特集が編まれ、2015年には東京・世田谷文学館で大規模な展覧会が開催された。「岡崎京子再評価」は何度も繰り返され、当人の「不在」にもかかわらず、いや、それゆえか、存在感が増すばかりに思える。
彼女の最高傑作の一つが、1994年に単行本化された『リバーズ・エッジ』であるというのは、読者の間ではほぼほぼ一致するところだろう(オリジナル復刻版は2015年刊、宝島社)。今年も行定勲監督によって映画化され(主演は二階堂ふみ)、あらためてこの問題作に注目が集まった。この痛々しくも蠱惑的な作品を、作家、美術家、批評家、詩人、写真家、学者など33人があらためて解読し、評論、詩、エッセイ、アート、マンガ等々、それぞれのジャンルで表現したのが本書である。
『エッジ・オブ・リバーズ・エッジ――〈岡崎京子〉を捜す』(新曜社編集部 編 最果タヒ他 著 新曜社)
場所は某都市の周縁(エッジ)。セイダカアワダチソウが繁っていて、よくネコの死骸が転がっていたりする河原(ここで人間の白骨死体が見つかる)。すぐ近くには石油化学系だろうか工場が建つ。主役は団地に住む女子高生。ドラッグやセックスにはまる彼氏、その彼にいじめられるゲイの同級生、過食と嘔吐を繰り返すレズビアンで人気モデルの後輩、30代と不倫しつつ多くの男と体を重ねる友人と引きこもりの妹、ゲイの彼と交際しながら精神を病んでいく同級生……。
こんな、濃厚な<生/性>と<死>のイメージを漂わせた不吉な作品を、最果タヒ、山形浩生、奈良美智、辻村深月、長島有里枝、ブレイディみかこ、佐々木敦、椹木野衣、池田エライザ、エリイ(Chim↑Pom)、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、二階堂ふみ、飴屋法水、小沢健二といった、20代から60代までが縦横に語る。
1963年に生まれ、80年代後半~90年代前半に活躍した作家に対して、これだけ幅広い層が描こうとするのは、『リバーズ・エッジ』がいまだに、一筋縄ではいかない解釈と思考を喚起する物語であることの表れだろう。しかも、33人それぞれのページで、字の大きさも書体もまちまち、随所に原作の関連シーンが再録された、雑とした体裁も、いろいろな意味で“中心”が欠落したかのような『リバーズ・エッジ』にふさわしい。とはいえ、なかなかヘビーな読書体験と言えなくもない。
さて、久方ぶりに原本を読み返し、本書のページをめくりながらあらためて痛感したのは、『リバーズ・エッジ』の、時代を予兆したかのような生々しいリアリティーだ。「時代の変調に敏感に反応、呼応しながら執筆を続けた」(志磨遼平)稀有な作家だということが実に腑に落ちるのだ。
『リバーズ・エッジ』は「バブル」が崩壊した後に雑誌連載が始まり、単行本が刊行された翌年が戦後50年。阪神大震災、オウムのサリン事件があり、世紀末/終末期をめぐる様々な言説があふれるなか、「ウィンドウズ95」が発売され、生活スタイルが激変していく。以後、資本主義社会の行き詰まりと、若者たちの閉塞感、絶望と倦怠は加速しているかのようだ。これは本書で多くの執筆陣が指摘する通り。文学にしろ、映画にしろ、発表後に、現実がそれを後追いするかのような現象が起きることがあるが、『リバーズ・エッジ』の予見性は恐ろしいほどだ。
作中、高校生たちの間で拡散した噂話が一つの契機になって物語が動くシーンがいくつかある。これについて、杉本章吾(漫画研究)は指摘する。「現在に立ち返れば……他人のおしゃべりに同調し、批判し、拡散することのできる安易なコミュニケーションツールを与えられ……不確かなおしゃべりがこれまで以上に横溢し、事実以上に個人の感情や信条が優先されてもいる」。ここでも優れた表現を現実が追っているのだ。
「平坦な戦場で、ぼくらが生き延びること」――。このウィリアム・ギブソンの詩の一節は、『リバーズ・エッジ』に登場する最も重要なフレーズだ。むろん本書では様々なかたちで言及されている。「平坦な戦場」、そして「生き延びること」の含意は「原作」と本書をお読みいただいて読者が考え続けるしかないかもしれない。が、佐々木敦が書くように、「『平坦な戦場』が『退屈な日常』の別名であることは疑いを入れない……(これが)日本社会を、いや、この世界そのものを覆い尽くして」いるのが、『リバーズ・エッジ』から24年後の現在ではあるのだろう。
90年代はじめ、何かの出版記念パーティだったかで、初めて漫画家・岡崎京子にお目にかかった。ゴダールだのボードレールだのに影響を受けたヤヤコシイ作家、という勝手な思い込みがあったのだが、小柄で、笑みを絶やさない気さくな人柄にすっかり感じ入ってしまった。彼女とほぼ同世代の読者として、2018年の「平坦な戦場/退屈な日常」を描いた作品を読めないのは痛恨事だとあらためて思う。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。
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