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JR北海道の鉄路を守り、交通権を保障せよ

自民党政府の失政で侵害された国民固有の権利

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

名:
石狩月形駅 JR札沼線バス転換が取り沙汰されるJR札沼線(札幌市の桑園~樺戸郡新十津川町の新十津川)の石狩月形駅 

 JR北海道(以下「JR北」)の路線見直しの動きがハードルを越えた。対象とされた沿線自治体との関係で議論は膠着していたが、本年2月、北海道庁の方針が明確になったからである。

 道の諮問会議は、JR北が「単独では維持困難」とした9路線12区間について、維持から廃止(バスへの転換)を含めた多様な位置づけを行った。この会議で、JR側が「上下分離」(上とは車両保有・運行を、下とは鉄道・施設等の保有・維持をさす)を主張したのは当然である。一方、道庁側は自治体の財政難を理由にこれに反対し、「国にさらなる支援を要求する」と論じたという(2018年2月11日付朝日新聞)。

政府が上下分離の「下」を担え

 だが道庁側は、なぜもっと突っ込んだ主張をしないのか。JR北の現状からすれば上下分離なしに今後の経営は不可能であり、そもそも鉄道に対して政府による根本的な支援がなければ、上下分離自体不可能である。言いかえれば、上下分離の「下」を担うのは自治体ではなく政府でなければならない。

 いま問われるべきは、交通権(後述)の保障を使命とする政府が、その使命にふさわしい対応をとらずに現状を放置してきた事実である。振る袖がないから放置したのではない。北海道の開発予算は年に5300-5400億円に達し、そこに2000億円近い道路整備費が計上されている。だが、鉄道整備費は一銭もない。この「世紀の不均衡」を是正しさえすれば、政府自身が「下」を担うことは十分可能である。

 だが政府は、鉄道事業の独立採算を旗印に――これは世界に見て特異な立場である――自らに何の責任もないかの如くにふるまっている。JR北はこの間、とるべく強いられた通りの行動をとった。だがそうした行動をとらせるべく政府が手をこまねいて現状を放置してきた事実が、根本的に問われるべきである。

 なるほど2007年10月から施行された「地域公共交通活性化・再生法」によって、上下分離が可能となった。つまり、上下分離は自動車交通に関しては当たり前だったが、やっと鉄道も適用できることになった。だが政府は、「下」の担い手は地域の自治体(基礎自治体)だと決めてかかっている。自動車事業も、政府が「下」を税金で丸がかえしなければ当然赤字となるだろう。それだけ自動車産業を手厚く保護しながら、なぜ鉄道産業には保護を拒むのか。こんなやり方をしているのは、アメリカをのぞけば「先進国」では日本くらいなものである。すべきこともしないまま、赤字を名目にローカル鉄道を安楽死させるのは、政府としての使命放棄である。

 政府が膨大な借金をかかえた今日、一般予算からの助成措置は困難という意見もあろう。だが、道路予算の一部を鉄道インフラに割けばよいのである。実際例えばドイツでは、連邦政府の一般財源が「近距離旅客輸送部門の建設コストに用いられている」(宇都宮浄人『鉄道復権――自動車社会からの「大逆流」』新潮社、2012年、64頁)。

 あるいは、財政投融資資金を用いることもできる。現政府は「首都圏などの高速道路づくりを加速させる」ためにこれを利用しようとしているが(朝日新聞2017年12月2日付)、使い方が間違っている。そもそも30年前の国鉄の分割民営化が、少なくとも北海道については完全に失敗だった以上、鉄道の公共性を踏まえてその支援に同資金を用いる方が、はるかに意味がある。

 ヨーロッパなどでは、政府による鉄道支援は当然視されている。例えばスウェーデンでは、北海道なみのローカル線の維持さえ政府の使命だと自覚されている(上岡直見『JRに未来はあるか』緑風出版、2017年、232-3頁)。なのに、なぜ経済大国日本の政府に同じことができないのか。

基本的人権としての交通権

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