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女性専用車両は差別だと女性を脅かすのは筋違い

後を絶たない痴漢犯罪・性暴力をこそ憎んでほしい

木村涼子 大阪大学大学院人間科学研究科教授

○なぜ「女性専用車両」ができたのか拡大「女性専用車両」ができたのはなぜか

「痴漢」で笑えるだろうか

 3月末にNHKのEテレが新番組「ろんぶ〜ん」で「痴漢」を取り上げ、話題となりました(3月28日放送)。この番組は、「知的好奇心を刺激」してくれる論文を紹介して読み解く「知的エンターテインメントショー」(NHK・HP)とのこと。しかし、「エンターテインメント」として楽しめなかった人たちがたくさん居たようで、「これではセカンドレイプだ」との声がネット上にあふれました。

 筆者は、番組全体は見逃したのですが、ネット上にあがっていた複数の断片映像や視聴した人たちの説明と感想を見聞きし、また番組で紹介された論文そのものを探して読んだ結果、これは残念ながら「セカンドレイプ」だと言われても仕方ない内容だっただろうと思いました。

 番組では、痴漢についての研究を複数紹介しましたが、視聴者に問題視されたのは、痴漢を受けているかどうかを判断するには臀部の触感では限界があるとの論文を紹介する際の番組内容および出演者たちの言動だったようです。田村淳など出演者が基本的に軽いノリで笑いながら番組が進行されていたことに違和感をおぼえた人は多かったでしょう。

 論文の実験結果として、痴漢かどうかの判断間違いの可能性は「60%」との数字が、画面に大きく示されもしました(この論文は、心理学系の実験研究なので被験者は10名と少なく、被験者に不快感を抱かせないために、実験時間も3秒と短いものです)。臀部の感覚で冤罪が生まれる状況を想定し、「冤罪が発生しました!」と田村淳が高らかに宣言するシーンでは、おもしろくて仕方なさそうな笑顔が映っていました。こんな場面で、冤罪被害経験者も、痴漢被害者も、笑えるでしょうか。

 しかし、こうした番組がつくられるのは、いつ痴漢冤罪を被るかもしれないという男性の不安のみならず、痴漢被害を告発する女性へのもやもやとした反感が背景にあるような気がします。

女性専用車両に乗り込む男性たちの示威行動

 このところ、女性専用車両に男性が故意に乗車する示威行動(デモンストレーション)が多発しています。車両移動を促されても「どの車両にも乗る権利がある」と拒否し、注意する女性や駅員の姿の動画をネット上にアップして揶揄したり、女性専用車両は「男性差別」だとの主張を公言する人たちもいます。

 実は筆者も、女性専用車両はベストな解決方法ではないと考えます。確かに、不自然です。高齢女性にインタビューすると、戦前には同じ沿線に女子校と男子校がある場合、女子の乗る車両と男子の乗る車両を分ける電鉄会社があったという話を聞きます。戦前は、「男女七歳にして席を同じゅうせず」といった儒教道徳をもって、学校は男女別学が原則であり、とりわけ思春期には男女が接触しないようにすることが「良識」だと考えられていました。

 「ジェンダー平等」という概念が、あらたな「良識」となっている21世紀において、女性専用車両があることは、残念なことだと言わざるを得ません。ジェンダーによる差別を無くそうとしている現代で、女性専用車両を「男性差別だ」と主張することは、それなりに意味をなします。また、痴漢被害は「女性」に限りません。性別、ジェンダーにかかわらず、誰でも被害者になり得るので、女性専用車両という形ではすべての被害を防ぐことはできません。

 すべての男性が痴漢予備軍としてみられているような状況も、痴漢行為と無縁な男性にとっては不快でしょうし、いつ自分は痴漢冤罪の被害者になるかもしれないという不安を抱えている男性が多いことも理解できます。私の友人知人の中にも、満員電車では、両手に荷物をもつか、両手でつり革をもつなどの自衛策をとるようにしている人がいます。冤罪から身を守るために、「男性専用車両もつくってほしい」という声もあるでしょう。

 しかし、それでも、いまの日本では女性専用車両の存在は重要なのです。その基本的な理由を認識せずに、男性差別を主張し、あまつさえ上記のような示威行動をとることは、他者の人権を軽んじるものです。

なぜ「女性専用車両」ができたのか

 ながらく痴漢の被害者は、泣き寝入りしてきました。いまもまだ、痴漢の被害は蔓延しています。しかし、長い時間をかけて、やっと被害者が痴漢に抗議し立ち向かうことが「少しはできる」状況がととのってきました。そのためには、痴漢を防止するための車内放送の導入・改善や、「痴漢は犯罪です」という当たり前のことを広報ポスターで訴えることも必要でした。

 筆者もまた痴漢被害をこれまでに何度も受けています。最初の被害は、小学校低学年の頃に田んぼのあぜ道をひとりで下校していた際に、大人の男性から性器を見せられ、声をかけられたことです。意味がわからないままに、怖くて走り帰りました。露出型の被害にはその後もさまざまな場所で経験しました。触られるという被害にも、映画館や電車で複数回遭遇しています。

 冒頭のEテレの番組に関わって、強調しておきたいのは、「これ、痴漢だ」と判断するまでに、多くの被害者は時間をかなりかけているだろうということです。筆者もそうでしたが、身体を意図的に触られているかどうかについては、「おかしい」と思っても、「気のせいかな」と慎重に考える人が多いと思います。「気にしすぎ?」「でも変」などとためらっている間に、加害者が大胆になってきて、被害が拡大することも少なくないのです。

 筆者は、ただ「怖い」と怯えたり、「汚された」気がして手を洗い続けたり(手は触られていないのに)、そうした泣き寝入りの時期を経て、徐々に「うまく逃げる」、できれば「なにか抗議してやめさせる」、近くに被害にあって困っている人がいたら声をかけて助けることができるようになりました。しかしそれには、自分自身の成長と、性暴力の理不尽さについての学びが必要でした。

 1988年、大阪で、ふたりの男性から痴漢の被害にあっている女性をみつけ、逃がしてあげた女性が、加害者たちに逆恨みされ、マンション建設現場でレイプされる事件がありました。「地下鉄御堂筋事件」です。当時、すでに大阪にいた私は恐怖と怒りで身が震える思いでした。その事件をきっかけとして、「性暴力を許さない女の会」が発足し、地下鉄を運営する大阪市交通局や鉄道各社に、車内アナウンスやポスターなどでのPR活動、被害があった場合の駅員の対応について要望を提出し、その後も継続的に交渉してきました。

女子生徒の25%から30%が痴漢被害にあっていると拡大アンケート調査による女子高生の痴漢被害を報じた記事(1989年10月22日朝日新聞)=筆者提供
 1989年や1994年には、大阪府立の高等学校が生徒たちにアンケート調査をしたところ、女子生徒の25%から30%が痴漢被害にあっていると判明し、生徒たちが通学に使う電鉄会社に対策の申し入れをするという動きがありました(1989年10月22日朝日新聞大阪本社版)。1994年の際には、調査に回答した女子高校生の3割が切実な要望として「女性専用車両」をつくってほしいという声をあげていました。

 さまざまな努力があり、しかしそれでも、痴漢被害が後を絶たないがために、「女性専用車両」が設置されたのです。

「男性」も守られるためには

 「女性専用車両」を「男性差別」だという人には、痴漢犯罪、性暴力を憎んでいただきたい。女性を責めるのはまるで筋違いです。

 痴漢冤罪を防ぐことは重要な問題です。冤罪を防ぐために必要なことは、女性専用車両への攻撃でも、女性が痴漢にNO!と言える流れへの妨害でもありません。痴漢冤罪の被害が生じやすい根本問題は、警察による被疑者取り調べの過程にあります。日本は、国際的にも問題視されている代用刑事施設(代用監獄)において、被疑者を隔離(拘留)しての取り調べ期間が際だって長い国です。拘留の間に、被疑者の人権を軽視した形で、自白を引き出す取り調べが行われ、冤罪が生まれやすいということは繰り返し指摘されています。

 ラッシュアワーの解消も、痴漢犯罪のみならず、労働条件の改善という意味でも必要です。しかし、混雑するから男性が痴漢をするのかといえば、そういう問題でもないでしょう。

 男性が、他者の人権を蹂躙するような性的欲望や暴力的欲求をもちやすいことについては、それらを煽動するような性情報の氾濫が背景にあるのではないでしょうか。だからこそ、発達途上で種々の性情報に振り回されがちな子どもや青少年に対しては性をタブー視することなく、自他の権利を柱とする性教育が必要です。大人にとっても、セクシュアリティに関する悩みや考えについて、信頼と安心を感じつつ相談・交流する場がもっとあってよいのではないかと思います。

 人間は本能だけに縛られているのではなく、学習や他者との相互行為によって生活している面が大きい社会的な存在です。痴漢や盗撮、相手の意思を無視した暴力的な性行為などへの欲求を「男性の本能だ」などと放置せず、そんなものに振り回されずに生きていくことが可能な社会を構築することは可能ではないでしょうか。

筆者

木村涼子

木村涼子(きむら・りょうこ) 大阪大学大学院人間科学研究科教授

1961年生まれ。1990年、大阪大学大学院人間科学研究科博士課程単位取得退学。大阪大学大学院人間科学研究科教授。博士(人間科学)。専門は、近代日本におけるジェンダー秩序、ジェンダーと教育研究など。『<主婦>の誕生――婦人雑誌と女性たちの近代』(吉川弘文館)、『学校文化とジェンダー』(勁草書房)など著書多数。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです