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『ロスト・イン・トランスレーション』再見(上)

ソフィア・コッポラの“東京物語”

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 今回は、2018/3/22同/27同/28で論じた『ビガイルド 欲望のめざめ』のソフィア・コッポラ監督の長編第3作目であり代表作である、『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)を論評したいが、彼女の出世作である本作を偏愛する映画ファンは少なくない。私自身も、東京を主舞台にして2人のアメリカ人男女の淡い交情を描くこの傑作は、何度見ても見飽きることがないが、なにより目を奪われるのは、カメラの撮りおさえた、ゼロ年代初頭の東京のドキュメンタルな景観や、日本人および外国人旅行者らの、いくぶん滑稽化された(ときに醜悪化された)姿である。

 だがそれにしても、私たちが見慣れているはずの、渋谷や新宿の街路や日本人の立ち居振る舞いが、なぜこれほどまでに、目を見張るようなリアルさで迫ってくるのか。なぜ昨今の邦画では、こうしたドキュメント感あふれる東京や日本人の映像に出会うことが少ないのか……。

異邦人に<異化>された東京や日本人

ソフィア・コッポラ監督(2004年)拡大ソフィア・コッポラ監督(2004年)
 ともあれ、『ロスト・イン・トランスレーション』が写しとる東京や日本人のイメージには、本作撮影以前にも滞日経験のある“親日家”、ソフィア・コッポラの体験、および彼女の非凡な観察眼が反映されており、したがって、作中の東京や日本人が稀有な鮮明さを帯びるのは、ソフィア自身述べているように、この映画が彼女の半自伝的なフィルムであることにも由(よ)っている。

 さらにいえば、それらは、いわばソフィアの分身たる2人のアメリカ人、中年のハリウッド・スターのボブ(ビル・マーレイ)と若い人妻シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)の視線がとらえたもの、として描かれる。

 それゆえ、この映画が描く東京や日本人は、われわれ日本人の目にも、異邦人によって<異化>された東京や日本人の映像として――つまり見慣れているはずなのに半ば未知の被写体であるかのように――、映るのである。いってみれば、われわれはボブとシャーロットに感情移入して、つまり彼らの視点に同一化して、見知っているはずの東京や日本人を<異物>として眺めるわけだ。そしてその点にこそ、『ロスト・イン・トランスレーション』というフィルムの独創性があるのだが、ドラマチックな出来事はほとんど何も起こらない本作のプロットを、ざっと記しておこう(「lost in translation」というタイトルは、<中>でも触れるように、アメリカの詩人ロバート・フロストによる詩の定義から着想されたものである)。

主人公は渋谷や新宿

――ハリウッドの大物俳優、ボブ・ハリス/ビル・マーレイは、サントリーウィスキーのテレビCMに出演するために来日しているが、言葉が通じず、ちょっとばかり鬱屈した日々を過ごしている。ボブはまた、アメリカに残してきた結婚25年目の妻とも倦怠期にある“ミドルエイジ・クライシス(中年期の危機)”にさしかかった男でもある(アンニュイですっとぼけた感じのビル・マーレイが、ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』(2005)ではやや紋切型に流れてしまった“疲れた中年男”の役を、本作では過不足なく好演)。

 ボブと同じホテル(西新宿のパークハイアット東京)に泊まっているシャーロット/スカーレット・ヨハンソンは、大学を出たての結婚2年目の若妻だったが、仕事に追われる写真家の夫ジョン(ジョバンニ・リビシ)は、シャーロットを気遣う余裕がなく、よって彼女もまた少しばかり孤独を感じている。……と、こう書くとあまりにも出来すぎた図式的なシチュエーションにも思えるが、この映画がそうした図式性を払拭しえているのは、ひとえにソフィアの卓抜な映画センスのなせる業だ。

 そもそも物語を要約しただけでは、この作品はありきたりな滞日中の西欧人の、言葉の障壁ゆえの孤独感、疎外感、あるいはカルチャー・ギャップを描いただけの映画に思われかねないが、一つひとつの細部が秀逸に演出されているので、けっしてそういうステレオタイプには流れていない。

 さてそんなある夜、長時間のCM撮影ののち、ホテルのバーで疲れを癒していた憂い顔のボブは、シャーロットと偶然出会う(そこでの二人の視線の交わりが何ともデリケートに描かれる)。そして二人は、ホテル内で顔を合わせるうちに親しくなっていき、連れ立って代官山の寿司屋や渋谷・猿楽町のクラブAIR<2015年に閉店>や、都内某所のしゃぶしゃぶ店やストリップ・クラブなどに行く。やがて、ボブとシャーロットのあいだには淡い恋愛感情が生まれるが、ラストで彼は彼女に別れを告げ、帰国の途につく(なお本作のキャッチコピーは、「ひとときの恋心、永遠の思い出。トーキョーであなたに会えてよかった。」(!)である――)。

 しかし前述のように、『ロスト・イン・トランスレーション』の主人公は、俳優たちよりもむしろ、渋谷や新宿といった都市(の猥雑な現実ではなくイメージ/上澄み/表層)である。 ・・・ログインして読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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