自分の性行動を考え、多様性を学ぶ「性の学習」
2018年04月26日
中絶や避妊、性交を扱う性教育は「不適切」か――教育内容への政治的介入は許されない
今回、都議や東京都教育委員会が問題視した「性の学習」の実践づくりには、6年前から教員と私を含めた研究者数名でともに取り組んできた。「性の学習」は、総合的な学習の時間や道徳の時間などを使い、現在3年間で7時間の計画で実施している。この実践は、もともとは別の中学校の養護教諭が1990年代はじめから積み重ねてきた実践の成果を基盤に、2008年からその養護教諭と私たちで実践研究として取り組んできたという経緯がある。
この研究調査で明らかになった性教育実践の大きな問題の一つが、時間の確保の難しさであったが、中学校の場合、各学年2時間3年間、計6時間であれば確保できるという可能性も調査の中で見えた。その限られた時間で、中学生の学習課題についての議論を深め、他の教科との関連、何をどの順番でどのように教えるのかといった研究を積み重ね、その最初の原型ができあがっていった。
2011年からは、今回の批判を受けた学校の教員がこの実践記録を目にし、先述した子どもたちの状況に必要だと考え、そこで性教育実践づくりに取り組むことになった。
「性の学習」は、1年生で「生命誕生」「らしさについて考えよう」、2年生で「多様な性」、3年生で「自分の性行動を考える」「恋愛とデートDV」といったテーマで、段階を踏んで計画されている。保健体育の授業でも、「月経」「射精」「性感染症」「エイズ」などについての学習があり、これらは、さまざまな面でつながりを持ちながら展開される。
この3月、古賀俊昭都議は、「自分の性行動を考える」の授業だけを取り上げて、問題にしたが、子どもたちはこの学習にたどり着く前の「生命誕生」の授業で、「性」について科学的に学ぶことで、「性」が「エロい」ことでも恥ずかしいことでもないことを、1年生の時点ですでに知っている。「らしさ」や「多様な性」を学ぶ中で、自分たちの生き方にとって大切なことであり、人権に関わることだということを学んでいる。こうした前提があって、「自分の性行動を考える」という授業が3年生で展開されるのである。
この実践で最も重要視していることは、まさに自分たちの問題として「自分の性行動を考える」という経験である。「避妊とは」「中絶とは」といったことの解説だけで終わるのではなく、子どもたち自身が活動し、考えるという、本当の意味でのアクティブラーニングになっている。
限られた時間で授業を展開しようとするとき、たいていの場合教員は、必要と思われる知識をすべて説明したくなる。しかし、いくら避妊や中絶について解説しても、それが抽象的な知識であればなおさら、自分ごとととらえることは難しい。
実際、今の日本の学校でコンドームの実物を見せることは
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