青木るえか(あおき・るえか) エッセイスト
1962年、東京生まれ東京育ち。エッセイスト。女子美術大学卒業。25歳から2年に1回引っ越しをする人生となる。現在は福岡在住。広島で出会ったホルモン天ぷらに耽溺中。とくに血肝のファン。著書に『定年がやってくる――妻の本音と夫の心得』(ちくま新書)、『主婦でスミマセン』(角川文庫)、『猫の品格』(文春新書)、『OSKを見にいけ!』(青弓社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
『西郷どん』を見ていたら。ある場面に目がクギヅケになった。
「この料理は……」
島津斉彬の暗殺計画があるらしい!と西郷どんが探索した結果、「斉彬様のお食事に毒が入れられておりもす!(←テキトー鹿児島弁)」と発見した場面。
島津家の上屋敷か下屋敷か知らないがとにかく台所。料理人(全員男)が薪のはぜる音や湯気の中でテキパキと立ち働いている。
その料理だ。
網の上で餅が焼かれている。ふくらんで、キツネ色の焦げ目からぷすっと熱い空気が吹き出る。
鍋には白粥がかきまぜられている。水晶の粒のような白米だ。キラキラと光っている。
横で菜っ葉がザクザクと刻まれる。分厚いまな板と包丁、みずみずしい菜っ葉。たぶん小松菜だろう。小松菜は江戸の名物で、その葉っぱのピンとした張りから見ても、旬のものにちがいない。
そして、この料理が、
「……まずそう」
なのである。いや、まずいというのとはちょっとちがう。
モノは良さそうなのだ。餅も、粥の米も水も、小松菜も、きっと高くてイイものを使ってると思わせる。今で言えば、スーパーで売ってる真空パックの切り餅ではなく、ちゃんとした餅屋ののし餅を自分のところで切ったもの。魚沼産コシヒカリの新米の精米したてのやつを汲んできた名水でお粥にして、無農薬有機栽培の小松菜を、ちゃんと砥石で研いだ包丁で刻み、つける。海原雄山がいかにもホメそうな、美しい飯。そんな感じが画面から感じられる。「美味しいご飯と漬物さえあればいい」的な。
なにしろ島津家のことであるから、そういうところに贅沢さを表現しようとしたのだろうか。1分もないような場面なのに、そういうところに力を入れる、さすが大河。
などと勝手に好意的に考えすぎてしまうほど、その一瞬に映し出された、焼いた餅、白粥、小松菜による献立が、まずそうだった。味気ないというか、味がないというか、食べても満足できると思えない。いくらこういうのが贅沢だ、と言われても、「鹿児島といえば昔から豚肉食ったりする土地柄だろう。豚肉はないにしても、せめて薩摩汁ぐらいの選択肢はないのか」と言いたくなる。
西郷どんは、この食事の中に、毒が仕込まれたといきり立っていたが、毒なんか入れなくたってこんなマクロビオティックみたいな食事してたらどんどん元気がなくなるだろうよ、と言いたくなるような料理だった。食事に対する意欲が失せる。緩慢なる自殺だよ! こんなんだから斉彬様は早死にするんだ!
それほどその場面は印象的だった。
ただ、印象的ったって一瞬の場面のことであり、その場面に深い意味は(たぶん)ないので、見終わったら流しておくのが大人の分別だろうと思っていた。
しかし。
4月15日放映の、第14回『慶喜の本気』を見ていたらまた聞き捨て……いや見捨てならぬ場面が出た。
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