教師は生徒の声を、生徒は教師の声を聞かなくてはならない
2018年05月10日
生徒と教師のための部活改革は進むのか?――「地域クラブ化」には生徒を守る仕組みが必要
部活改革は、たしかに必要だ。でも、改革の進め方は慎重になる必要がある。生徒の声に耳を傾けることを忘れてはダメだし、生徒が犠牲になっては本末転倒だ。部活改革で生徒が置き去りにならないように、生徒の声に向き合わなくてはならない。
さて、生徒の声に向き合う、と言ったものの、それがなかなか難しいことは、私もわかっている。
現場の教師からは、「生徒の声なんて聞いたら、休みたーいとグチグチ言うだけで、部活をサボって怠けるに違いない」とか、「生徒同士で意見が違うんだから、うまくいくわけないし、トラブルが増えるだけ」とか、「生徒のためにまた教師が苦労しなきゃいけないの? 生徒は何もわかっていないんだから、もう限界!」といった反論が来るだろう。
ふむふむ、そうだよねぇ、と共感しつつ、そうした反論に対する私なりのリプライを試みてみよう。
まず、もし生徒が「部活を休みたい」と言ってきたら……その生徒の隠れていた本当の気持ちがようやく聞けた、とポジティブに考えてみてはどうか。
部活は、授業とは違って「自主的な活動」だ。だから部活は、してもしなくても良い。当たり前だけど、部活よりも授業の方が大切で、だから強制させてでも授業を生徒に受けさせている。授業に比べれば、たかが部活だ。世間のみなさんは部活へ熱すぎる期待をかけるけれども、過剰な期待をいったん冷ましてほしい。
さて、たかが部活、なんて言うと何だか部活の価値を軽んじているように思われるかもしれないが、そんなことはない。「してもしなくても良い」という緩さがあるから可能なことがある――自分で意志決定することだ。
部活には良いところがある。みなさんも良く知っているように、スポーツや文化活動を気軽に楽しめたり、その知識や技術を高めたり、それを通じて友だちができたり、などなど。
それらとはちょっと違う部活の良さとして、私は、意志決定の仕方を学ぶことができる、という教育的意義が部活にあると思っている。
授業ならば、生徒は好きでも嫌いでも、選ぶ余地無く、強制的に受けなくてはならない。でも部活は違う。部活をするかどうか、いつ何をどうするか、ちょっと休むか、はたまた辞めるか、それでもやっぱり続けるか、とことんまで頑張り抜くか。それを選んで決める自由が生徒にある。
部活で生徒は、自分に与えられた自由をどのように使うのか、そのための知識や方法を試行錯誤しながら学ぶ。つまり、「自由の使い方」を学ぶことができるのだ。
だから「部活を休みたい」と生徒がホンネで決めたなら、認めてあげてほしい。他にしたいことが見つかったのかもしれない。休み続けているうちに「やっぱり部活したいかも」と思い直すかもしれない。「休む」と決めた自分自身を反省するかもしれない。後から見れば、何をそんなにグチグチ悩んでいたのか、とふり返るかもしれない。
それらすべての経験に意味があるのだ。部活で生徒自身が何かを選んだり決めたりすることは、将来大人になってから仕事や家庭や人生で、もっと重要な意志決定を迫られる際の、大切な事前練習のチャンスになる。
たかが部活、されど部活だ。
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