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『世界の料理ショー』は特別うまそうだった

青木るえか エッセイスト

スリムなおなかにサスペンダー姿で「ヨーグルトチーズ」の作り方を伝授。機関銃のようなしゃべりは健在だ=2002年、ワシントン州エベレットでグラハム・カーさん(右)は『世界の料理ショー』の放映が終わった後も、料理法を各地で伝授した=2002年、ワシントン州エベレットで

 この連載では、テレビに出る料理がまずいまずいと言っているので、ではテレビに出たうまそうなものは何だ、ということで「テレビで美味しかったもの」を思い出してみたい。

 でも思い出す前に5月13日の『西郷どん』に出てきたおかゆ! これがまたうまくなさそうでした! 奄美に流されて、心中したのが自分だけ生き残っちゃって、気持ちもやさぐれて、おまけにマラリアにもかかって死にかける。島の人の必死の看病で病も峠を越したが、生きる気力がない。そこに「食べなさい」と椀の粥がすすめられる。薄くて粗末な粥である。最初は食べる気もなかったのに、やがて口をつけ、そしてがつがつと食べて飲み込む。

 この場合、最初に食べる気がしないのは、まずそうだからじゃなくて、生きたくないからだと思うんですよ。それが、いやいや口をつけたら、その美味しさが意に反してからだにしみわたる。考えるよりも先に、体が粥をむさぼる……そして生きる気力がわく……どうしようもなく……っていう場面のはずだ。

 粥は粗末でいい。いや粗末でなければならない。だけど、それは代えがたい甘露であるということを表現しないといけない。むずかしい。

 で、いつものようにその粥、うまそうじゃなくて。食ってる西郷どんも、細かい演技はしてて、まずそうな粥が、ある瞬間に甘露となった、その瞬間もちゃんとわかるように芝居してるんだけど、……うまそうにみえなくて。生きる歓びが見えなかった。うーむ。これからどうなる西郷どん。

料理はこんなんでいいのだ

 で、今までテレビで見て美味しそうだったものの記憶。

 まずはなんといっても『世界の料理ショー』ですね。カナダの番組を輸入したやつで、グラハム・カーというおじさん……いやお兄さんか、彼がスタジオで料理をつくって見せてくれて、料理ができあがったら客席にすわってる中から一人テーブルに連れてきて食べてもらうという趣向。

 昭和50年代の番組だったので、外国の食べ物もまだ珍しく(いったい戦後何年経ってんだって感じですが)、私はこの番組で、ベイクドチーズケーキの作り方をつぶさに見て「こんなうまそうなものを死ぬまでに食べることができるのだろうか」と思った。

 料理人のグラハム・カーは、いかにもイギリス人ぽい、アメリカの陽気なテレビドラマに出てくるにいちゃんみたいで、料理はシャツにネクタイというふつうの格好で、調理もいろいろとテキトー、計量もテキトー、こぼしたり落っことしたのをまた拾って放り込んだり、ザクザク切ってじゃかじゃか炒めて、泡立てはハンドミキサー、みじん切りはスピードカッター、ミキサーにブレンダー、アメリカ式文明の利器は使いまくる。「料理はこんなんでいいのだ」というのはこの番組で刷り込まれた。しかし、そこにあるような調理器具を買って使えるようになったのは何十年も後のことであったが……。

 素材も、肉や乳製品、野菜も果物もたっぷりで、見ているだけで憧れがかきたてられました。

グラハム・カーの手際

 今だって、同じような素材で、同じような調理器具で、料理をつくってる番組はあるけれど、『世界の料理ショー』は特別美味しそうだった。なぜだろう。

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