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もっとつっこんだ性教育を!(下)

「性交」「中絶」「避妊」は不可欠な言葉。世界に遅れをとる日本

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

韓国『なるほど!(AHA!)青少年性文化センター』の性教育展示用バス。学校・
地域から要望があればスタッフがバスでかけつける。2008年韓国「なるほど!(AHA!)青少年性文化センター」の性教育展示用バス。学校・地域から要望があればスタッフがバスでかけつける=2008年、撮影・筆者

AVがふりまく暴力的・威圧的セックス映像

 前稿「もっとつっこんだ性教育を!(中)――歪んだ性情報源「AV」へのリテラシーが不可欠である」では、若い人を取り巻く各種の環境のうち性情報源として特にAVを論じ、なかでも望まぬ妊娠の問題に焦点を当てたが、他にもAVにはいろいろな問題がある。女性を性的な対象物におとしめることもそうだし、前記のように、女性に対する支配や威圧さえ性的であると思わせるからくりが、AVに組み込まれている。日本のAVには、「痴漢もの」や「レイプもの」まで数多く含まれている。AVからは痴漢行為もレイプも男性にとってセクシャルであり、女性はそうした男性の働きかけを喜ぶというメッセージまで発せられる。それらのメッセージから、経験の浅い若い人(特に男子)がどれだけ自由でいられるだろうか。

 よくポルノの効果はどのようなものかが問題にされるが、その場合、レイプや「強制わいせつ」に至らずとも、寝室でパートナーになされる性行動のことも考えあわせなければならない。東京都生活文化局『「女性に対する暴力」調査報告書』(1998年)には、夫やパートナーにポルノビデオ・雑誌をむりに見せられた女性は8.7%と報告されているが(49頁)、そうしたケースでは、多かれ少なかれポルノビデオ・雑誌に描かれた「性行為」が女性に対し行われたと判断される。それを思えば、ポルノの現実的効果は相当に大きいと判断される。

 私が知るかぎり、日本と異なり、欧米では暴力的な内容を含むAVを公然と作ることに一定の歯止めがかかっている。だが欧米のAVさえ、はたしてどこまでその姿勢が貫かれるかは疑問である。

 アメリカではいま、企業コンサルタントとして活躍する女性シンディ・ギャロップによる動画サイト「Makelovenotporn」(MLNP:ポルノではないセックス)が、話題を呼んでいる。これは、ふつうの素人のセックスの様子を流す動画サイトである。もちろんネットにのせるかどうかを判断する際に取捨選択がなされており、暴力的な行為を含むものは除外しているというが、彼女がこうしたサイトを立ち上げようと考えたのは、若い男性が、AVに見られる暴力的・威圧的なセックス・性交を当たり前のものであるかのように思っている現実を知ったからだという(ハフポスト日本版2018年3月24日)。

 かつて、女性誌『アンアン』がセックスDVDを作ったことがあった(上掲『AV神話』210頁以下)。それは、ネットで出回るAVに比べれば、見ていてとても気持ちがよい映像となっていた。だがふつう男性は、この種の映像とは全く異なる映像に、普段からさらされているのが現実である。現状では、性教育の時間にこうした映像を見せることにはならないだろうが、しかしネット上のAVが与える偏ったメッセージを相対化する努力は、性教育実践にとって不可欠である。

性犯罪から身を守るためにも

 私は当事者間の良い関係をつくりうるようにセックスの仕方を教えるべきだと言っているのではない。それも重要だろうが(後述する韓国の例に見るように民間団体ならそれができるかもしれない)、むしろ性的身体の組織や変化・成長、その意味等を伝えることで、若い人が自らの悩みに自ら対処できるように導くと同時に、他の人(SNS被害等に見るように大人であることが多い)によって性的身体が犯されないようにすることも重要である。

 残念なことだが、女性が性的暴力におびえ、時に実際に暴力被害を受ける現実がつづいている。そればかりか幼い少女が、父親を含む親族に犯される「性的虐待」の例さえめだっている。不幸にもそうした性暴力が行われたとき、少女たちが、被害の事態を的確に表現できるようにしなければならない。

 そのためには、都議・都教委が問題化したような授業実践こそ不可欠である。今回は中学3年のそれが問題視されたが、近年の性的虐待の事実を知るにつけ、もっとつっこんだ性教育が、小学生に対してさえなされる必要があると私は信ずる。その際、「ペニス」「膣」はもちろん「性交」も「中絶」も「避妊」も不可欠な言葉である。

 それらは、青年層が自らの身体を知り、セクシュアリティを知り、ひいては自らを個性ある人格として尊重できるようにするためにも、不可欠である。セクシュアリティとは、性的な指向性、好み、関心、行動、感受性等を総体としてさす言葉だが、それは人格の主要な核の一つとなり、個々人にとって基本的に尊重されるべき人格権の構成要素とさえ言わなければならない。子ども・若者が、セクシュアリティに関わる認識不足から悩み苦しみ、自尊感情を失うようなことがあってはならない。

 本来なら、セクシュアリティに関わる悩み等を若い人が相談できる場が各所にあってほしいのだが、それが現実にはなかなか組織されないでいる時、学校がそれを担う役割を果たすべきなのである(もちろん民間の施設・団体と同時に両者がそれぞれの視点から若者を支えられるなら、もっと望ましい)。

 その意味で、性教育は、なかでも今回問題視されたようなそれは、都議・都教委の言い分とは全く逆に、むしろより積極的に展開されるべきである。

日本の遅れた性教育――もっと性教育を!

 今日、日本がどれだけ性教育に於いて世界に遅れをとっているか。

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