漫画化を企画した鉄尾氏が語る「今年上半期に一番売れた本」「200万部突破」のわけ
2018年06月18日
貧困やいじめ、勇気といった普遍的なテーマに人間としてどう向き合うかをテーマにした歴史的な名著、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)を漫画にした『漫画 君たちはどう生きるか』(漫画・羽賀翔一、原作・吉野源三郎)が、「オリコン」、「Amazon」、「トーハン」「日販」「大阪屋栗田」の各販売会社の2018年上半期ランキングでいずれも1位になり、今年の上半期で一番売れた本になりました。昨年8月24日の刊行から9カ月で200万部を売り上げた大ベストセラー。本が売れない時代にここまで売れたのはなぜか。漫画化を企画した編集者、鉄尾周一さんが語りました。(聞き手 WEBRONZA編集長・吉田貴文)
先日、日大アメフト部の選手による反則タックル問題がありましたね。あの日大の選手が『君たちはどう生きるか』の主人公である中学生“コペル君”とダブってみえて仕方ありません。
ネタばれするので、詳しくは話せませんが、日大の選手もコペル君も自分がしでかしてしまったことの大きさにおののき、いったんは人に会わせる顔がないと悩み苦しんだ。しかし、日大の選手は意を決してメディアの前に出てきて、顔と名前を出して謝った。コペル君も“おじさん”からのアドバイスを受け、勇気を奮い立たせて友だちの前に出て、謝った。中身は全然ちがいますが、基本的な構図は変わりません。
「人間としてあるべき姿とは何か」をめぐる人の悩みというものは、今も昔も大きくは変わらないんだな。そうつくづく思います。
私が原作を初めて手にしたのは、大学生のときです。父に勧められて読みはじめたのですが、学校でのいじめや暴力、所得格差や貧困といったある意味、どこにでもあるストーリーが逆にリアルで、知らぬうちに引き込まれていました。ところどころに差し挟まれるおじさんからの「手紙」も心に染みて、すっかり愛読書になりました。
これを漫画にして復刻しようと思い立ったのは、編集部での雑談で30代の男女の編集部員がこの本の愛読者だと知ったのがきっかけです。歴史的という形容がつく古典が今なお、若い人たちにも読まれている。装い新たに世に問えば、反響があるのではないか――。それは一種の直感でした。
とはいえ、いまは本が売れない時代。40代以上はまだしも30代以下の世代は、漫画は読むかもしれないけれど、本はあまり読まない。なかでも小説をじっくり読むなんて時間は、SNSなどで忙しい彼ら、彼女らにはほとんどない。でも、この本はそうした若い人にこそ読んでもらいたい。そこで考えたのが、漫画にすることでした。
とは言うものの、マガジンハウスには漫画の実績がほとんどありません。漫画に詳しい講談社の編集者に相談にして、漫画家の羽賀翔一さんを紹介してもらい、時間をかけて試行錯誤しながら編集しました。羽賀さんの努力もあって、いいものに仕上がった自負はありましたが、昨年夏に刊行した時点では、どれだけ反響があるか、分かりませんでした。「5万部売れたらいいな」というのが、正直なところでした。
結果論ですが、漫画にしたのがよかったのでしょう。 テキストだったら読むのをためらう人も、漫画だったらハードルが下がります。つまり、読む気にさせるための「仕掛け」。別の言い方をすれば、漫画によって古典を今の時代に「翻訳」しているわけです。
迷ったのは、小説のキモとも言える、おじさんの「ノート」の部分です。原作のままテキストにするか、この部分も漫画にするか――。
どちらもアリなのですが、ここも漫画にすると、サッと読んで終わりになってしまわないか。ノートにはこの本のエッセンスが詰まっている。多少ハードルは高くても、テキストで読んでもらったほうが、メッセージが心に残るのではないかと考え、原作のままにしました。
本の出来上がりにはそれなりに自信はありましたが、「200万部」は望外の数字です。「君たちはどう生きるか」というタイトルを知っている人が、50代以上の世代には少なくないというのが大きかったと思います。名著が持つ知名度という「ブランド」力は、私が考えていた以上の「財産」でした。
当然ですが、本屋の人はみな、原作を知っていて、こちらからPRをする前から、目立つところに置いてくれました。今まで「説教くさい」と敬遠していたけれど、漫画になったのなら読んでみようか、子どもに読ませてみようか、というかたちで、輪がどんどん広がっていったようです。第2次世界大戦の直前、80年前の歴史的な小説がどんな漫画になったのかという興味から手に取った人たちもいたでしょう。
実際、読者はあらゆる世代に及びました。まずは昔、読んだことがあるという50代以上の世代。マスメディアやWEBで取り上げられると、お母さん方が読んで子どもに勧める。さらに、中学生や高校生が授業のテキスト、読書感想文の課題図書として読み、大学では卒業記念として学生たちに配られたれもしました。今や一番多く手紙を書いてきてくれるのは、スマホ世代の10代です。
刊行のタイミングもよかったと思いますね。30年前のバブルの頃にこの本を出していても、ここまでは売れなかった気がします。
先ほど述べたように、学校でのいじめや暴力、所得格差や貧困といったこの小説が扱うテーマは、実はどの時代にもある普遍的なテーマです。しかし、バブルの頃は、所得格差や貧困の問題はバブルという「オブラート」に包まれ、今ほど深刻に感じなかったのではないでしょうか。いじめや暴力も、経済的に余裕があったバブルの頃より今のほうが一層ひどくなっているように見えます。
バブルの頃までは明確だった「生き方のモデル」が失われたのも深刻です。大学に行って会社に入り、60歳で定年を迎え、余生を過ごすという「モデル」は、バブルの崩壊に伴ってすっかり崩れてしまいました。
大学を卒業してやっと入った企業もつぶれる可能性がある。「人生100年時代」になって定年後の生活が見えない。横並びで安心して生きられた時代が終わり、自分たちがどう生きるかが問われる時代になっています。
それだけに、「君たちはどう生きるか」というこの本の問いかけが、切実に響くのではないでしょうか。
ただし、「どう生きるか」について、この本は明確な答えを示してはいるわけではありません。人の役に立つ人間になる、人に何かしてあげられる人間になることを、おじさんはコペル君に提案はしていますが、決して押しつけているわけではありません。おじさんの最大のメッセージは、「自分で考える」です。
ネタバレしない程度に言えば、個人的に印象が強いのは、この本のクライマックスとも言える、コペル君が友だちを裏切ってしまう場面です。多かれ少なかれ、似たような体験をしている人は多いはずです。「自分にも思い当たるフシがある」「悪かったと思いながらも、なかなか自分から謝れなかった」。そんなことを思い出しながら、読んだ人は少なくないと思います。
冒頭で、コペル君と反則タックルをした日大の選手が重なると言いました。そもそも原作の『君たちはどう生きるか』が名著とされるゆえんは、扱われているテーマがもつ時代を超えた普遍性にあるのではないでしょうか。時代背景こそ原作が出た昭和10年代に設定されていますが、主なテーマは登場する人たちの生き方。その頃も今も、人間が考えていることはそんなに変わっていません。
だからこそ、『漫画 君たちはどう生きるか』を、読者は自らが生きてきた道のり、現在の環境に応じて、読むことができるのでしょう。おじさんの気分で読む人もいれば、コペル君のお母さんの気持ちで読む人もいる。もちろんコペル君に自分を重ねて読む人もいる。大学時代からの愛読書を漫画化してみて、古典の持つ強靱さ、幅の広さをあらためて感じています。
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