映画・映像界自体が新しい仕組みを作ることも必要
2018年06月25日
*これは、2018年6月25日に配信した記事です。
カンヌ国際映画祭で最高賞「パルムドール」を取った『万引き家族』の是枝裕和監督の発言が議論を呼んでいる。監督が自らのブログに記したものだが、文科大臣からの「祝意」を断ったことと文化庁の製作助成金を受け取ったことが矛盾しているのではないかというものだ。
彼はそれを「公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つ」と表現している。そしてその後にあえて自ら文化庁の助成金をもらったことを書いて感謝しつつ、注文をつけている。
これに対して「助成金をもらっていながら国に逆らうとはあきれた発言だ」という意見がツイッターなどで出ている。さらに「フランス政府主催のカンヌ国際映画祭にいつも出品するくせに」とか「万引きを広める映画は国辱」という見当違いの批判までいろいろ出ている。
これらの批判の多くは、二重、三重に的外れだ。映画を見ずに題名で判断するような意見は置いておいて、ここではそもそも文化に対する公的補助金とはどんなものか、日本の映画製作助成金にはどんな意味があるのか、フランスとどう違うのか、そもそも今の日本の監督の置かれた状況はどうなのか、そしてカンヌとは何なのかなどを述べながら、今回の議論の的外れぶりを示したい。
文化に対する補助金については、朝日新聞デジタル(6月15日、紙面は6月18日朝刊)に朝日記者3名が書いた「是枝監督「公権力と距離」発言、作品助成と矛盾するの?」にほぼ尽きている。一言で言えば、成熟した民主主義国においては文化に対して国は「金は出すが口は出さない」が原則である。
しかしながら、これに対してはそのことを理解していない政治家から
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