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[書評]『遅刻してくれて、ありがとう』

トーマス・フリードマン 著 伏見威蕃 訳

木村剛久 著述家・翻訳家

ネット社会は人を幸せにするか

 現代人はスケジュールに追われ、連日忙しくすごしている。ひとつのことが終わったら、次は別のことに取りかからなければならない。時間単位で人と会う約束がつまっている。その相手がたまたま何かの事情で遅れてくることがある。遅れたことを相手がわびる。それにたいし、あるとき著者は「遅刻してくれて、ありがとう」と答えていた。忙しい毎日のなかで思いがけず生まれた時間、それはめまぐるしい変化についていくだけが精一杯の自分をふり返る絶好の機会を与えてくれたのだ。本書のタイトルは、そこからとられている。

『遅刻してくれて、ありがとう(上)──常識が通じない時代の生き方』(トーマス・フリードマン 著 伏見威蕃 訳 日本経済新聞出版社)定価:1800円+税拡大『遅刻してくれて、ありがとう(上)──常識が通じない時代の生き方』(トーマス・フリードマン 著 伏見威蕃 訳 日本経済新聞出版社) 定価:1800円+税
 時はすぎ、戻ることはない。身の回りのものはあたりまえのように存在している。

 ぼく自身をふり返っても、ようやくパソコンを買ったのは21世紀にはいるかはいらないかのころだった。携帯をスマホに乗り換えたのは今年になってから。子どものころは、家にエアコンや車はもちろん、冷蔵庫も洗濯機もテレビも電気炊飯器もなかった。それでも、ふつうに楽しく生活できていた。いまは車や電化製品はもちろん、パソコンやスマホのない生活は考えられないだろう。

 商品が売れるのは、たぶん人がこれまでにない新しさに幻惑されるからだろう。新しいものを買わなければ、なぜか自分が世間から取り残されたような気分になる。どの商品についてもいえることだが、いったん商品を使用すると、その利便性が忘れられなくなり、それによって世界は変わり、もはや元に戻らなくなってしまう。とりわけ、20世紀後半以降の世界はそのようにめまぐるしく動いてきた。商品を使っているようで、商品に使われているみたいになり、人はひまになるどころか、ますます時間に追われるようになった。

 本書はパソコンやスマホが世界をどう変え、変えつつあるのかを、広範な取材を通じて紹介する。著者はクラウド、すなわち、この地球上をおおう巨大なコンピュータ・ネットワークのことをスーパーノバ(超新星)と名づけている。いったん広がった新技術は、後戻りすることはなく、その開発は加速している。それに対応できなければ、ビジネスで生き残るのもむずかしくなっている。

 だが、心配ない。「本書は、史上でもっとも変化が激しい時期、この加速の時代に、繁栄し、レジリエンスを高めるための、楽観主義者のガイドブックだ」という。レジリエンスというのは、最近はやりのビジネス用語なのだろう。何度、叩かれても、その都度、立ちなおる能力を指すらしい。いずれにしても、いまの世の中、たいへんだ。比喩的にいえば、革命と戦争が日常化している。そんななかで、人はチャンスをつかみ、いいところをみせなければ、組織からも社会からも周辺に追いやられる。でも、がんばれ、と著者は励ます。

 いわゆるスーパーノバがやってきたのは、ごく最近の2007年になってからだ。この年、アップルのスティーブ・ジョブズはサンフランシスコでiPhoneのプレゼンテーションをおこなった。そこから携帯とインターネットの融合がはじまる。新世代のマイクロプロセッサが生まれ、コンピュータの性能が格段に向上した。グーグルやフェイスブック、アマゾンが世界的に広がった。だれもがSNSやスカイプを使うようになり、クラウドへの統合がはじまる。著者によれば、クラウドとは「ありとあらゆるプログラムを動かし、膨大な保存・処理能力を提供するコンピュータ集合のこと」で、「人間と機械のパワーの歴史でもっとも注目に値する増幅器」だという。

 クラウド、すなわちスーパーノバの到来によって、データ処理能力は一気に加速し、世界じゅうがあっという間につながり、世界の全情報が整理されて、ビッグデータ革命がもたらされた。グーグルやアマゾン、フェイスブックはそれを最大限活用した企業だが、一気にグローバルな民泊ネットワークを築いたAirbnbのような新規企業も生まれている。

 スマホでは、電子ブックやアプリ、オンラインゲーム、音楽、映画などの仮想商品が利用でき、瞬時に決済できるようになった。急速にキャッシュレス社会に移行しつつある中国では、多くの人がスマホで購入商品の支払いをしている。金融の世界では、デジタル化された金融フローが猛烈な勢いで動き、世界市場の相互依存性がますます高まっている。

 未知の人間どうしが新しいテクノロジーによって結びつき、新しいコミュニティが生まれている。それはゲーム依存をはじめとして、時に性犯罪や詐欺、テロを生み落とすこともあるが、いまのところ、マイナス面よりプラス面のほうが大きい、と著者はみている。適切なバランスをとるのは容易ではないが、最悪の影響を緩和する対策を講じることによって、被害はある程度防げる。いまだいじなのはデジタル・フローの流れを遮断して壁をつくることより、もっとフロアを広げることだ、と著者は断言する。

 パソコンでメールやインターネットが使えるようになったのは、ようやく1990年代半ばになってからだ。それ以降、ウェブ接続はどんどん速くなり、新聞や雑誌は読まれなくなり、広告はウェブに移り、記者の仕事はひまになるどころか、前よりずっと忙しくなった。ウェブのための仕事もこなさなければならなくなったからだ。コンピュータやロボットが発達したおかげで、ブルーカラーは仕事を奪われ、ホワイトカラーはスキルの変更を余儀なくされた。

 とにかく変化が速すぎて、社会はそれに追いつけない。そのため空隙が生じている。労働の自動化はかならずしも雇用を奪うわけではないが、マニュアルどおりの反復作業では最低賃金しかもらえず、貴重なスキルをもつ人びとの所得だけが高騰する。だが、幸運な少数の人間だけが資産やビジネスチャンスを手に入れられる社会は健全とはいえない、と著者は感じている。

 著者によれば、いま必要なのはAIをIAに変えることだ。IAとはインテリジェンス・アシスト。つまり知的支援であり、社会全体でハイテクに対応できる教育体制をつくらなければならない。もちろん企業は社員全員のスキルをアップするよう努めなければならないし、ネット上にオンライン学習講座や求職システムなどを広げる必要もある。変化が加速する時代には、大学で学んだ知識など、あっという間に滅びてしまい、一生学びつづける人間だけが、長い仕事人生を勝ち抜くことができる、と著者はいう。

 いまや仕事時間は9時から5時までという時代は過ぎ去った。ITやAIは労働時間を短縮したり、仕事の密度を軽減したりするわけではなく、人が24時間、グローバルに対応しなければならない世界をつくりあげようとしている。モノがあふれ、人と人、人とモノがネットでつながり、その流れがますます加速し、グローバル化して、人はそれに対応するのが精一杯で、ますます空疎化して、鬱におちいっていく。ぼく自身はそんな感慨をいだいてしまうのだが、著者はもっと楽観的だ。それがあたりまえだというのだ。

 インターネットと政治の関係はどうだろう。ポスト冷戦後の世界は、制御された世界と混沌とした世界に分裂している、と著者はいう。それは冷戦時代よりはるかにやっかいな世界だ。国家やコミュニティの崩壊した地域にどう対応したらいいか、簡単な答えが出せなくなっている。

 ソーシャル・ネットワークは連絡や抗議活動にはむいているが、政治秩序の安定には寄与しない。コミュニケーションが成立するのは、意見が一致する人びとのあいだだけで、それ以外の人を排除する傾向もある。コンピュータは創造だけでなく破壊にも使うことができる。「未来のテクノロジーと過去の敵意」が組み合わさると、予期せぬ事態も生じうる。過激なウェブサイトから生じた衝動が、一匹狼のテロリストを生むこともある。

 それでも著者は、インターネットの可能性を信じている。もはやインターネット時代以前には戻れない。多くの人は1日のかなりの時間をサイバースペースに割くようになっている。いまやスマホは日常生活に欠かせないのだ。だとすれば、個々人の倫理観を高め、進化させる以外にない、と著者はいう。接続にさいして、さまざまな注意を喚起することや、サイト運営会社による管理も必要になってくる。ネット上で健全なコミュニティを育てることも重要だ。

 しかし、何よりもだいじなのは、われわれが実際に生活しているコミュニティを拡張し、そこを思いやりや愛、助けあいに満ちた場所にすることだ、と著者はいう。それには「ダイナミックでハイブリッドな政治」を実現していく以外にない。「多元的共存を実現した多元的社会は、政治的な安定性を享受する」と、著者は信じている。つまり、ネット社会が健全さを保つことができるのは、健全なコミュニティとパブリック・スペース、地元産業や商業、加えて豊かな自然があってこそだ、というのが本書の結論だといってよい。

 ユダヤ人の著者は、みずからが生まれ育ったミネソタ州の町を、平凡ながらもアメリカン・ドリームにあふれる開かれた町だったと回想している。白人とユダヤ人、アフリカ系アメリカ人が多元的に共存できるようになるまで、地元のさまざまな取り組みが積み重ねられてきたという。いまはイスラム系の住民も多くなり、貧困層も増えているが、それでも町はマイノリティを受け入れ、教育を支援し、経済格差の解消に取り組む努力をつづけている。だいじなのは、コミュニティのルールであり、法の支配を守りながら、ともにコミュニティを発展させることだ、と著者はいう。

 健全な多元的コミュニティの実現と自然環境の保全という方向を見失えば、テクノロジーの発達は、かえって人類を不幸にするだけだと著者は考えている。逆に、その基本を忘れなければ、人はたとえ時間差はあってもハイテク化に対応し、よりよいくらしを手に入れ、すばらしい時代を迎えるだろう、と著者はいう。とはいえ、けっして楽観はできないだろう。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

木村剛久

木村剛久(きむら・ごうきゅう) 著述家・翻訳家

共同通信社で長く書籍を編集し、『妻たちの思秋期』(斎藤茂男)、『もの食う人びと』(辺見庸)のほか、『マクナマラ回顧録―ベトナムの悲劇と教訓―』(R・マクナマラ)、『現代史』上・下(ポール・ジョンソン)などを手がける。自身の訳書・共訳書に『国民の天皇』『紀元二千六百年』(共にケネス・ルオフ)など、著書に『蟠桃の夢―天下は天下の天下なり―』(トランスビュー)がある。