2018年06月28日
東京・銀座5丁目のビルの地下1階にある銀座サンボア(2003年開店)。ドアを開けると、木製のスタンディングカウンターと、棚にずらりと並ぶスコッチウイスキーが目に飛び込む。BGMは流れていない。
向かってカウンター左側に、ガッシリとした体格で、オールバックの男性が立つ。白のダブルのブレザーに黒の蝶ネクタイ。「映画『カサブランカ』で酒場のオーナーを演じるハンフリー・ボガートが着ていた服を真似てあつらえた」という。
銀座サンボアと浅草サンボア(2011年開店)、大阪にある北新地サンボア(1994年開店)の3店舗のオーナーの新谷尚人さん(56)だ。
私にとっては30年以上にわたって慣れ親しんだ味だ。どこのサンボアにいっても味は変わらない。
25歳のときに全国紙の大阪本社に配属され、先輩に連れられていったのが、大阪・キタにある堂島サンボア(1936年開店)だった。50がらみのしかめ面のバーテンダーがカウンターに立ち、店の第一印象は「正直いって、怖かった」。20代の若造には敷居の高いバーだったが、折り目正しいバーテンの動きと、やけに濃く感じたハイボールの味は忘れられなかった。私のサンボア初体験は酔うのではなく、背筋が伸びたようだった。
どこのサンボアも客に気安く話しかけたりしない。黙ってカウンターに立ち、客のペースで静かに洋酒を楽しんでもらう。これが、ハイボールの味とともにいつしかサンボアのDNAとして受け継がれてきたようだ。
暖簾(のれん)分けでつながるサンボアは店ごとにオーナー(現在12人)が違い、それぞれの流儀がある。しかし、どこかのサンボアで10年間修行をしたうえで、すべての店のオーナーからの許可を得ないかぎり、独立しサンボアを名乗れないというしきたりがある。これが連綿と受け継がれるDNA、言葉を換えれば「バーの美学」ということなのだろう。「それぞれの店で修行した者たちがサンボアを生業(なりわい)としている」という新谷さんの言葉からも、DNAの存在が伝わってくるようだ。
「バーの役割は、ただ、そこにあること。すばらしい酒を提供することでもなく、高い酒、美しいカクテルを出すことでもなく、毎日毎日そこにあり、客のいるところに私たちはいる」とバー哲学を語り、「煌(きらび)やかなことはない。うちで飲んで明日もがんばる客の背中を見送る。たまたま酒が触媒としてある」と説明する。
サンボアは1918年(大正7年)2月、現在の阪急電鉄・花隈駅(神戸市中央区)近くで岡西繁一という人物が創業した。当時の名前は岡西ミルクホールといい、その後サンボアに改称される。
明治維新や神戸開港から50年になる18年は、米の暴騰によって空前の民衆暴動が日本全土に拡大。神戸の地元豪商の鈴木商店や神戸新聞などが焼き打ちにあうという事件が起こった。一方、大阪から神戸にかけて「阪神間モダニズム」といわれるハイカラな地域文化も開花。23年にサンボアと店名を改めた。
堂島サンボアの創業者・鍵澤正男は「サンダイヤ」(24巻)と題された香料を製造する会社の広報誌のなかで、
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