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[書評]『どもる体』

伊藤亜紗 著

堀 由紀子 編集者・KADOKAWA

自分の体なのに何も知らなかった

『どもる体』(伊藤亜紗 著 医学書院)定価:本体2000円+税拡大『どもる体』(伊藤亜紗 著 医学書院) 定価:本体2000円+税
 潔いタイトルとシニカルなのだけどどこか愛らしいカバー画。裏表紙をめくれば、先日小林秀雄賞を受賞した國分功一郎さんの『中動態の世界――意志と責任の考古学』や、民俗学の世界に新たな領域を提示した六車由実さんの『驚きの介護民俗学』など、話題作を次々と刊行している医学書院の「シリーズ ケアをひらく」の最新刊という。これはかなり期待大だ。

 今回紹介するのは『どもる体』。吃音をテーマにした一冊なのだが、「わたしは吃音ではないし、興味、湧かないな」と思ったなら、少し待ってほしい。

 本書でまず触れるのは「しゃべる」という行為の不思議さだ。

 言葉は、多くの人にとっては「思ったらすぐに出る」ものでしょう。というか、自分が一体どうやってしゃべっているのかなど、自覚していない人がほとんどではないでしょうか。
 「言葉」というそれ自体としては抽象的なものが、「体」の物理的な運動によって、「音」という空気の振動としてアウトプットされる。よくよく考えると、かなり複雑なプロセスがそこにはありそうです。
 ありそうですが、私たち
がそのプロセスを意識することはほぼありません。あくまで「思ったらすぐに出る」のが言葉というものです。(10~11ページ)

 たしかにこう指摘されるまで、「しゃべる」という行為そのものを意識したことはなかった。「いったいなぜ、私たちはしゃべれているのか」(35ページ)。

 たとえば「しんぶん」という言葉をどのように発しているのだろうか。

 「し」は唇を横に引き、舌を口の中の中空に浮かせて歯と触れないようにし、喉は開き気味にして、空気を少しだけ開けた歯の間から漏れ出させ、「し」から「ん」へは、唇を少しずつすぼめて、口の中の空間をしぼって……などと考えながら話していない。というか、気づいたこともなかった。

 そう考えると慄然としてしまう。だれがわたしのしゃべる行為をコントロールしているのか。だれがしゃべっているのか?

 (吃音の当事者たちの)経験を分析することは「自分のものでありながら自分のものでない体」をたずさえて生きるという、誰にとっても切実な問いに向き合うことにほかなりません。本書は吃音についての本ではあるけれど、吃音を一つの事例として、この普遍的な問いに迫ってみたいと思います。(17ページ)

 前置きが長くなってしまったが、本書は吃音の分析にとどまらない、だれもが「自分事」として考えさせられる内容だ。

 吃音とは、たとえば「たまご」というときに、「たたたたたたまご」と言ってしまう「連発」や、「た」が出ないために言葉そのものが出にくくなる「難発」、さらにそれらを避けようとするための「言い換え」があるそうだ。ある当事者は、「飛行機」が言いにくいので「航空機」と言い換えるという。

 それもあり、吃音と気づかれないことも多く、元首相の田中角栄やマリリン・モンロー、さらに今もテレビに出演している有名なアナウンサー(!)や、ある料理研究家も吃音だという。

 しゃべることが仕事のアナウンサーが、という事実には驚かされた。この方は、テレビでは吃音が出ず、身近な人といるなど、リラックスした状態のときに出てしまうという。

 ほかにも歌を歌うときや役を演じるときは吃音が出にくい、ある時期に言えていた言葉が言えなくなった(逆もある)、など、ひと言で吃音という現象は決められない。当事者8人へのインタビューも交えながら、その多様性も紹介していく。

 わたしたちが行っている「しゃべる」という行為の無意識性について、著者は「オートマ制御」という言葉で示す。一方で、吃音はこの「オートマ制御」にエラーが生じる状態だという。そのなかである一人が発した言葉に著者は注目する。

 「吃音というのは、言葉を伝えようとして、間違って、言葉じゃなくて肉体が伝わってしまった、という状態なんです」(71ページ)

 オートマ制御されているしゃべる行為でエラーが生じ、支配されない体そのものが伝わってしまう吃音。本書のカバー画のもとになったとも思われるこの言葉を深くかみしめる。「たまご」と言いたいのに、「たたたたたたまご」と言ってしまう。制御が効かない。これはかなり怖いことではないだろうか。

 それにもかかわらず、吃音当事者たちのなかには「どもりたい」と願う人がいる。どもりたくてもどもれない、とは何とも不思議だ。本書の後半ではこの思いを深く読み解いていく。

 日本はもともと、吃音を治そうとする動きが強い国であり、当事者たちは、さまざまな「工夫」を行ってきた。先ほどの言い換えもその一つだ。その事例の数々は想像できないものばかりで驚かされたが、一方で当事者たちがそういった自分を演じることへの違和感、乗っ取られる感じが募っていったという。

 ある当事者が発した「うまくいくための工夫が私の主体性を奪っていく」(203ページ)という言葉が響く。連発や難発を避けるための工夫は、本当に言いたい言葉ではないのだ。

 「どもりたい」という思いは、乗っ取られてしまう自分への危機感であり、そこからの解放への叫びのようにも思えた。

 そして、話が少し飛ぶが、先日こんな記事を読んだのを思い出した。日立製作所が開発した名札型ウェアラブルセンサー(首からぶら下げる名札)が、内蔵した赤外線と加速度センサーで個人の身体動作のデータを得て一人一人のコミュニケーション具合を集積し、さらにそこから元気な部署とそうでない部署の相関関係を得ることも視野に入れるという。

 これはだれにとっての技術なのかといえば、組織を管理する側だろう。

 屋上でボーっとすることも、寝不足だからとこっそり空いた会議室で仮眠することも記録される。今日は調子がよくないから、とデスクからほとんど動かないと「コミュニケーションをとっていない」と記録される。組織の論理に最適化した働きを常に求められるのだ。

 気づけば、わたしたちはいつの間にか組織に自ら「最適化すること」を受け入れていないだろうか。疑問さえも感じなくなっていないだろうか。

 「どもりたい」という思いは、自分自身を生きたい、最適化されない自分を生きたい、という切実な思いであり、一社会人であるわたし自身への強烈な問いかけにも感じた。

 またすごい本に出合ってしまったなぁ……本書のあとがきを読み終わり、静かな余韻に身をゆだねている。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

堀 由紀子

堀 由紀子(ほり・ゆきこ) 編集者・KADOKAWA

1975年、山梨県生まれ。1999年より角川書店で、主婦向けのテレビ誌「しってる?」、スポーツ誌「SPORT Yeah!」、都市情報誌「横浜ウォーカー」の編集に携わる。2012年より書籍編集に。担当した書籍は、柳田国男復刊シリーズ(角川ソフィア文庫)、黒田勝弘『隣国への足跡』、望月衣塑子『武器輸出と日本企業』、室井尚『文系学部解体』、柴田一成『とんでもなくおもしろい宇宙』など。ハードボイルド小説と自然科学系の本が好き。