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[書評]『モンテレッジォ 小さな村の旅する~』

内田洋子 著

中嶋 廣 編集者

出版を巡る一つのメルヘン

 ヴェネツィアの細い路地の奥にある、ひっそりとした古書店、すべてはここからはじまる。ベルトーニ書店の店主、アルベルトは、この店の歴史は自分を入れても、4代をさかのぼるに過ぎない、すべては山の中の村、モンテレッジォに始まると言った。

『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田洋子 著 方丈社)定価:本体1800円+税拡大『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田洋子 著 方丈社) 定価:本体1800円+税
 著者には未知の場所だったが、モンテレッジォという村は何かが違っていた。「地図と少々の情報しか知らないというのに、心の奥を摑まれたような気持になっている」。

 こうして著者は、本を売ることを稼業にした、モンテレッジォ村の歴史にのめり込んでいく。親しくなったマッシミリアーノは言う。「行き先やそのうち定住することになる場所が異なっても、先祖代々から村人たちが変わることなく売り続けたのは、本でした」。周りは鬱蒼とした山、そこに本を売る人びと。でも、いったい、なぜ。

 著者はさっそく現地を訪れる。途中までは鉄道でも行ける。しかし山に入ると、車でなければ無理だ。車を村の広場に停めると、大きな大理石の石碑がある。彫られているのは、肩に籠を担いだ男で、籠には溢れんばかりの本が積み上げてある。その大理石の碑文はこうだ。

 〈この山に生まれ育ち、その意気を運び伝えた、倹(つま)しくも雄々しかった本の行商人たちに捧ぐ〉

 読み書きのできなかった村人が、本を行商して国境までも越えてゆく。それがイタリアの文化を広める結果へと繫がってゆく。でも、著者には、なぜ、という言葉以外は出てこない。

 しかし歴史を紐解くうちに、わかってきたことがある。それは「地の利」である。「海がなく、平地もなく、大理石の採石もできない。つまり、海産物も農作物も畜産品も天然資源も採れない村だったが、それらが豊富な土地へ行くための〈通過地点〉という重要な役割があった」。特産品は〈通す権利〉であった。

 その後、グーテンベルクの印刷革命があり、イタリアの統一運動があり、紆余曲折を経ても、モンテレッジォの行商人たちは本を運び続けた。「村人たちは底辺の行商人だった。……町中の書店で売る本とは違っていた。価格も、格も、読者も。……行商人たちは庶民の好奇心と懐事情に精通した。客一人ひとりに合った本を見繕って届けるようになっていく。客たちにとって、行商人が持ってくる本は未来の友人だった」。

 最後の一文に注目してほしい。あるいはまた、こういう文章もある。「(モンテレッジォの)村人たちは、そういう本を売ったのである。読むことが、次第にその人の血肉となっていくような本を」。

 こういう文章を読むとき、私たちは、歴史を紐解いているのではないことを知る。これはひょっとすると、著者による1篇のメルヘン、せいぜいがメルヘンと歴史のあわいに位置する物語ではないのかと。

 いろいろな物語がある。イタリアからスペイン、そしてアルゼンチンまでを股にかけた出版人の話。あるいは五つの家族が協力して、何代もかけてイタリアからフランス、スイスをくまなく回って、本を売ってきた話。それらはモンテレッジォに始まる話であり、歴史の1ページではなく、まるで著者が本売りの行商について回ったかのようだ。

 あるいは手に取っただけで、本の行く末をぴたりと言い当てる行商人の話。「売れる本というのは、ページに触れるときの指先の感触や文字組み、インクの色、表紙の装丁の趣味といった要素が安定しているものです。〈あの出版社の本なら〉と、ひと目でお客に品格をわかってもらうことが肝心ではないでしょうか」。確かにそう言ったかもしれないが、でも昔の行商人の口を借りて、喋っているのは著者その人だ。

 そういえば、この本には2見開きに一つ、全ページのカラー写真が載っているが、ネームはない。本文と対応させて実に細やかな写真ばかりだが、解説は見事に何もない。こういう写真の使い方は、まったく初めてだ。そうか、こういうふうに使うと、解説を読むことによって、本文が中断されることがないわけか。すると著者のメルヘンは流れるように進んでゆき、夾雑物は入らない。とはいえ全ページをネームなしでやろうとすると、けっこう度胸がいる。

 こうして出版をめぐる多彩な物語が、幸福に終わろうとするとき、最後の章で突然、現実のイタリアの出版の話に引き戻される。2016年の1年間で、6歳以上のイタリア人で1冊も読まなかったのは、国民全体の57.6%、3300万人に達する。街からは書店が消えてゆく。「暗澹とする。/窓から外を見る。ここから見える人たちの過半数が、昨年に一冊も本を読まなかったのか」。

 イタリアの出版事情は日本とそっくりである。「減収の連鎖から抜け出すために、出版社は新刊を出版する。出して配れば、小切手が入る。繰り返すうちにヒット作が出て負の流れを止め損益をご破算にしてくれないか、と待つのである」。

 最後の一章は、イタリアの出版事情と見せて、日本を憂うるものだ。最後まで読んだとき、著者が最も気にかけているのは、モンテレッジォで本が生まれた、その魂が、日本の出版人になお宿っているかどうか。そのことが、ずっと気にかかっているのだ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

中嶋 廣

中嶋 廣(なかじま・ひろし) 編集者

1953年生まれ。新卒で入社した筑摩書房はすぐに倒産。9年後、法蔵館へ移籍し、『季刊仏教』を編集しつつ、『上山春平』著作集や養老孟司『カミとヒトの解剖学』などを編集。2001年、トランスビューを設立し、池田晶子『14歳からの哲学』、森岡正博『無痛文明論』、島田裕巳『オウム』、小島毅『父が子に語る日本史』、チョムスキー『マニュファクチャリング・コンセント』などを手がける。